荒井 直樹(あらい なおき、1964年8月16日 - )は、神奈川県出身の元アマチュア野球選手、高校野球指導者。

荒井 直樹
前橋育英高等学校硬式野球部 監督
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県横浜市
生年月日 (1964-08-16) 1964年8月16日(56歳)
選手情報
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督歴

経歴・人物編集

綾瀬市立綾北中学校[1]日本大学藤沢高等学校を経て、いすゞ自動車で社会人野球選手としてプレー。       

高校時代は投手として活動。3年夏の全国高等学校野球選手権神奈川大会では2試合連続ノーヒットノーランを達成する[2]。 しかしながら、続く準々決勝の横浜商業高戦では自身が登板しないまま敗れ、甲子園出場は叶わなかった。[2]1学年下の山本昌とは一緒に練習したり食事をする仲であり、交友関係は高校卒業後も続く。[2]

高校卒業後は、社会人野球の名門いすゞ自動車に入社。しかし、入社4年で投手から 外野手にコンバートさせられ、その後 三塁手への転向を命じられた。実践機会は増えたものの、打撃面に課題が残り、常にクビ寸前のギリギリの状態が続いた[3]。そんな時に転機となったのが、臨時コーチとしてやってきた 二宮忠士との出会いだった[3]。二宮は打撃に伸び悩んでいた荒井に対し助言をかけ、その後の打撃向上に大きな影響を与えた[3]。以降、荒井は13年間社会人野球でプレーし、都市対抗野球大会にも7度の出場を果たす。

現役引退後は自身の母校でもある日本大学藤沢高等学校で3年間監督を務め、その後1999年から前橋育英高等学校のコーチを経て2002年から同校の監督を務める[2]

2011年に同校を第83回選抜高等学校野球大会出場に導き、同校初となる甲子園への出場を果たす。

そしてその2年後の第95回全国高等学校野球選手権大会において、初出場ながらも髙橋光成らを擁して県勢2度目となる全国制覇を達成[4]。因みに、当時主将を務めた荒井海斗は自身の息子である[5]

以前は打ち勝つチームを目指していたが、2011年の選抜に敗れた以後は「守り勝つ野球」へプレースタイルをシフトし、2013年の夏の選手権でもそのプレースタイルで優勝を果たした。

2016年には 春季関東地区高等学校野球大会優勝[6]、2019年夏には史上初となる全国高等学校野球選手権群馬大会4連覇を達成するなど、安定した成績を残している[7]

甲子園での成績編集

  • 2011年春 ●1ー7九州国際大付
  • 2013年夏 ○1ー0岩国商、○1ー0樟南、○7ー1横浜、○3xー2常総学院、○4ー1日大山形、○4ー3延岡学園(優勝)
  • 2016年夏 ●3ー10嘉手納
  • 2017年春 ○1ー5中村、●0ー4報徳学園
  • 2017年夏 ○12ー5山梨学院、○3ー1明徳義塾、●4ー10花咲徳栄
  • 2018年夏 ○2ー0近大附、●3ー4x近江
  • 2019年夏 ●5ー7国学院久我山

出典編集

  1. ^ 前橋育英野球部 荒井直樹監督 母校で講演 綾北中が講師に招く | 綾瀬” (日本語). タウンニュース (2017年2月24日). 2020年12月20日閲覧。
  2. ^ a b c d レジェンド山本昌を語る第二弾 前橋育英高校・荒井直樹監督 〜前編〜” (日本語). Timely! WEB (2016年4月28日). 2020年12月20日閲覧。
  3. ^ a b c 甲子園優勝監督のシンプルでしつこい指導法 | 野球界に見る 凡才がトップに登り詰める方法” (日本語). 東洋経済オンライン (2014年1月7日). 2020年12月20日閲覧。
  4. ^ 前橋育英高、22年ぶり初出場優勝 全国高校野球決勝” (日本語). 日本経済新聞 (2013年8月22日). 2020年12月20日閲覧。
  5. ^ 『【夏の甲子園】前橋育英・荒井親子の夢結実 海斗決勝打で直樹監督胴上げ(スポーツ報知)』” (日本語). ほぼ野球ブログ. 2020年12月20日閲覧。
  6. ^ 前橋育英が横浜破り初優勝 春季関東大会 - 高校野球 : 日刊スポーツ” (日本語). nikkansports.com. 2020年12月20日閲覧。
  7. ^ Company, The Asahi Shimbun. “前橋育英4連覇 エースが丁寧な投球、堅守で得点許さず | バーチャル高校野球 | スポーツブル” (日本語). バーチャル高校野球. 2020年12月20日閲覧。