荘姜(そうきょう、生没年不詳)は、荘公の正夫人。荘公贖の娘で、太子得臣の同母妹にあたる。

荘姜
の公爵夫人

配偶者 荘公
氏族 姜姓呂氏
父親 荘公贖
出身諸侯国
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生涯

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容貌は美しく、衛の荘公にとついだが、男子が生まれなかった。衛の人は彼女に同情して「碩人」[1]の詩を賦した。荘公はまたから夫人を迎え、厲嬀といった。厲嬀は孝伯を産んだが、孝伯は早逝した。厲嬀の妹の戴嬀が公子完(後の桓公)を生み、荘姜はこの子を自分の子として養育した。荘公と愛妾のあいだの子として公子州吁があり、荘公に可愛がられた。州吁は兵事を好んだが、荘公は止めなかったので、荘姜はこのことを憎んだ[2]紀元前735年、荘公は死去し、桓公が即位した[3]紀元前719年、公子州吁は桓公を殺害した[4]

列女伝』によると、荘姜の守り役である傅母が彼女を諫めるために「碩人」の詩を作ったものという[5]

脚注

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  1. ^ 詩経』衛風
  2. ^ 春秋左氏伝』隠公3年
  3. ^ 史記』衛康叔世家
  4. ^ 『春秋左氏伝』隠公4年
  5. ^ 『列女伝』母儀伝「斉女傅母」