菊池 武長(きくち たけなが)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。初めは肥後国菊池氏、後に安芸国戦国大名毛利氏に仕えた。子に林長早林就長林元尚

 
菊池武長
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 延徳元年(1489年
死没 天正4年8月20日1576年9月12日
改名 菊池武長→林武長
別名 通称:善左衛門、右京
入道号:道明
官位 木工允
主君 菊池能運毛利元就輝元
氏族 藤原北家隆家流菊池氏林氏
林長早林就長林元尚
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生涯 編集

延徳元年(1489年)、菊池氏に生まれる。

初めは肥後守護菊池能運に仕えたが、永正元年(1504年2月15日に菊池能運が死去すると、武長は備後国へと移り、後に毛利元就に仕えた。また、苗字を「菊池」から「林」へと改めている。

天正4年(1576年8月20日に88歳で死去。長男の長早は既に小早川隆景に仕えていたため、次男の就長が家督を相続した。

参考文献 編集