菟道磯津貝皇女(うじのしつかいのひめみこ)、あるいは菟道皇女 (うじのひめみこ、生没年未詳)は、飛鳥時代皇族敏達天皇広姫の皇女。同母兄に押坂彦人大兄皇子。同母姉に逆登皇女(さかのぼりのひめみこ)[1]宇遅王(うじのおおきみ)ともいう[2]

菟道磯津貝皇女
続柄 敏達天皇皇女

出生 不明
死去 不明
父親 敏達天皇
母親 広姫
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日本書紀』巻第二十によると、敏達天皇7年3月(578年)に「菟道皇女を以て、伊勢の祠(まつり)に侍らしむ」とあるので、伊勢斎宮のような立場にあったらしいが、池辺皇子に強姦され、任を解かれた[3]、という記録が残されている。

なお、敏達天皇と推古天皇の皇女に、のちに聖徳太子の妃となった菟道貝蛸皇女がおり、彼女の別名も「菟道磯津貝皇女」とされている[4]本居宣長は『古事記伝』で、ここの「磯津貝」を、聖徳太子妃の皇女の名が紛れ込んだ結果であろうと説明している。

脚注 編集

  1. ^ 『日本書紀』敏達天皇4年正月9日条
  2. ^ 『古事記』下巻、敏達天皇段
  3. ^ 『日本書紀』敏達天皇7年3月5日条
  4. ^ 『日本書紀』敏達天皇5年3月10日条

参考文献 編集

関連項目 編集