葉室 定藤(はむろ さだふじ、永禄元年(1558年) - 天正8年10月29日1580年12月5日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての公家。初名は長教権中納言葉室頼房の子。官位従四位上左中弁

経歴編集

永禄5年(1562年従五位下叙爵元亀2年(1571年元服して昇殿を許されるとともに、従五位上・兵部権少輔に叙任される。右衛門佐を経て、元亀4年(1573年)右少弁に任ぜられると、弁官五位蔵人を兼ねて、天正2年(1574年正五位下、天正4年(1576年)正五位上、天正5年(1577年)左少弁と昇進する。またこの間、天正7年(1579年)長教から定藤に改名した。

天正8年(1580年)左中弁兼蔵人頭頭弁)に任ぜられるとともに、2月に従四位下、3月に従四位上と続けて昇叙されるが、10月29日卒去享年23。定藤には男子がいなかったため、甘露寺家を継いでいた弟の経家が葉室家に戻って葉室頼宣と改名し跡を継いだ。

官歴編集

諸家伝』による。

系譜編集

系図纂要』による。

  • 父:葉室頼房
  • 母:秦重清の娘
  • 妻:不詳
  • 養子女
    • 男子:葉室頼宣(1571-1610) - 実は葉室頼房の子

参考文献編集

  • 正宗敦夫編『諸家伝』日本古典全集刊行会、1940年