薬師院(やくしいん)は、京都市中京区にある黄檗宗寺院山号は医徳山。本尊薬師如来。「こぬか薬師」の通称で知られる。

薬師院
所在地 京都府京都市中京区釜座通二条上ル大黒町694
位置 北緯35度0分51.5秒 東経135度45分20.0秒 / 北緯35.014306度 東経135.755556度 / 35.014306; 135.755556
山号 医徳山
宗派 黄檗宗
本尊 薬師如来
中興年 元禄元年(1688年
中興 鉄面寂錬禅師
別称 こぬか薬師
札所等 京都十二薬師霊場第9番
通称寺の会(こぬか薬師)
法人番号 7130005002369 ウィキデータを編集
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歴史 編集

延暦元年(782年)、最澄は16歳の時に自ら一刀三礼で薬師如来像7体を彫り上げると、その内の1体を美濃国横倉に医徳堂を設けてそこに安置したという。この医徳堂の薬師如来像が当院の本尊であるという。後に医徳堂から薬師院に名を改めている。

寛喜2年(1230年)に全国的に疫病が流行した際、薬師院の住職の夢枕に「我が前に来れば一切の病苦を取り除こう。来ぬか、来ぬか」と薬師如来のお告げがあったという。以後人々が当院を訪れて祈願すると病気が平癒したことから、当院は「来ぬか薬師」という名で呼ばれるようになったという。

戦国時代に上洛を果たした織田信長により、当院は美濃国から当地に移転されたという。

その後、衰微していたところ元禄元年(1688年)に黄檗宗の鉄面寂錬禅師により再興される。

元治元年(1864年)7月19日に起きた禁門の変と、それによって発生したどんどん焼けにより全焼するが1889年明治22年)に再建された。しかし、境内は大幅に縮小してしまった。

境内 編集

  • 本堂 - 前面は宝形造、後面は切妻造という珍しい建物である。
  • 庫裏

前後の札所 編集

京都十二薬師霊場
8 大超寺 - 9 薬師院 - 10 大福寺
通称寺の会(こぬか薬師)

住所 編集

  • 京都府京都市中京区釜座通二条上ル大黒町694

交通 編集

参考文献 編集

  • 薬師院由来

外部リンク 編集