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藤井 賢祐(ふじい けんすけ、生没年不明[1])は、元・日本テレビ放送網社員でテレビプロデューサー。初代『ドラえもん』の企画を立ち上げたことで知られる。

目次

概要編集

1950年代後半に日本テレビに入社。

1960年代前半に『リッピー・ハーディー珍道中』などの輸入アニメのプロデュースを手がけたのち、1960年代後半から1970年代前半にかけて、主に日本放送映画、東京テレビ動画、日本テレビ動画ナック制作のテレビアニメ企画に携わった。

後述の不祥事以降はアニメ番組からは退き、主に日本テレビのドキュメンタリー番組の制作に携わっていた。

徳間書店刊『アニメージュ』1979年4月号特集「TBS&NTVアニメ16年史」のインタビューでは思い出の一作として『週刊少年ジャンプ』原作アニメ第1号作品となった『男一匹ガキ大将』を挙げている[2]

不祥事編集

安藤健二岡迫亘弘からの聞き取りとして記しているところでは、藤井は東京テレビ動画(日本テレビ動画の前身)社長の新倉雅美(別名・渡邊清)からの贈与の見返りに仕事を与えていたが、それが日本テレビに発覚して東京テレビ動画への発注がなくなったという[1]。その後、日本テレビからテレビアニメの発注が途絶えた新倉は社運を賭けて谷岡ヤスジ原作の劇場用アダルトアニメヤスジのポルノラマ やっちまえ!!』を製作するが、興行は大失敗に終わり東京テレビ動画は解散する。

ほどなくして新倉はアニメ制作会社日本テレビ動画」を新たに立ち上げ、藤井と再びタッグを組み『ドラえもん』(第1作)を企画・放映する。しかし、同年8月中に新倉が突如失踪し、これが原因で日本テレビ動画は解散に追い込まれ、同作も1973年9月末に打ち切りとなる。その後、藤井は同作を最後に日本テレビのアニメ部門から永久追放された。後に日本テレビは1975年4月から『パパと呼ばないで』など1時間枠実写ドラマ専門だった吉川斌を後継のアニメ担当プロデューサーに異動させた。

主な参加作品編集

1950年代編集

  • 東京ロメオ(1957年)
  • マネチーショーケース(1957年)

1960年代編集

1970年代編集

1980年代~1990年代編集

  • 生きるってすばらしい(愛のドキュメント)(1981年7月18日)
  • 私のボストン美術館(美術スペシャル!!)(1983年10月15日)
  • 宗教の時間(1987年 - 1995年)

脚注編集

  1. ^ a b 安藤健二『封印作品の憂鬱』洋泉社、2008年、p70。安藤は藤井を「故人」と記しているが、没年などは記載していない。
  2. ^ 幻のドラえもんをたずねて…その1・乏しい資料 - ウェイバックマシン(2009年2月10日アーカイブ分)

関連項目編集