藤原 ひろ子(ふじわら ひろこ、1926年6月19日 - )は日本教育者政治家。元衆議院議員日本共産党公認、通算4期)。日本共産党中央委員会名誉幹部会顧問。は京都市教組委員長を務めた藤原富造。選挙時は「藤原広子」とも。

藤原 ひろ子
ふじわら ひろこ
生年月日 (1926-06-19) 1926年6月19日(93歳)
出生地 台湾(日本国領土時代)
出身校 京都府立第二高等女学校
前職 京都市議会議員
所属政党 日本共産党

選挙区 京都1区
(中選挙区時代)
当選回数 4
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来歴編集

日本統治時代台湾出身。1944年、京都府立第二高等女学校(現・京都府立朱雀高等学校)を卒業後、小学校教諭、京都市会議員を経て1976年の衆院選京都1区から立候補し初当選した。この選挙で共産党からは、同選挙区に藤原のほか現職の梅田勝も出馬しており、梅田は落選した。

初当選から通算4期衆議院議員を務めた。この間、1979年の総選挙では、梅田と両者ともに当選を果たした。1990年の総選挙で、梅田とともに両者共倒れを機に引退、地盤は穀田恵二に継承。

政歴編集

その他編集

藤原の甥(妹の息子)はザ・タイガースのギタリストでミュージシャンの加橋かつみである[1]。またザ・タイガースのメンバーである森本太郎瞳みのるは藤原の小学校教諭時代の教え子である[1]

参考文献編集

関連項目編集

脚注編集

  1. ^ a b 『ザ・タイガース 花の首飾り物語』(瞳みのる著・小学館)にて、瞳みのるから詳細が記されている。