藤原 朝頼(ふじわら の あさより)は、平安時代中期の貴族藤原北家勧修寺流右大臣藤原定方の子。官位従四位上勘解由長官

 
藤原 朝頼
時代 平安時代中期
生誕 不明
死没 不明
官位 従四位上勘解由長官
氏族 藤原北家勧修寺流
父母 父:藤原定方、母:藤原山蔭の娘
兄弟 佳節朝忠朝成、朝頼、理兼代明親王室、藤原雅正室、醍醐天皇女御能子藤原兼輔室、平随時室、藤原尹文室、欣子藤原師尹室、橘典輔室、源為善室、藤原庶正
藤原言行の娘
為輔
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経歴

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左馬頭弾正大弼少納言右近衛少将左近衛少将左大弁左兵衛督を歴任し、従四位上・勘解由長官に至る。同母の兄弟である朝忠朝成とは違い公卿昇進は叶わなかったが、子孫は勧修寺流として繁栄した。

官歴

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系譜

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尊卑分脈』による。

脚注

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  1. ^ 『政事要略』巻28
  2. ^ a b 『九暦』
  3. ^ 『大嘗会御禊部類記』

参考文献

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