藤原 浄子(ふじわら の きよこ、生没年不明 )は、奈良時代後期の女性朝臣位階正五位下

記録

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称徳朝の後期の神護景雲2年(768年)に無位から従五位下に叙せられている。その後、長期にわたって記録が途絶えるが、桓武朝延暦10年(791年)に、右大臣藤原継縄百済王氏らを率いて、邸宅にて天皇のために百済楽を演奏させており、天皇は継縄の一族と百済王一族に叙位を行っている。その際に、その場に居合わせた浄子も正五位下に叙されている。

官歴

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続日本紀』による。

脚注

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参考文献

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