藤原真川
藤原 真川(ふじわら の まかわ)は、平安時代初期の貴族。藤原南家乙麻呂流、大納言・藤原雄友の長男[1]。官位は従四位下・宮内大輔。
時代 | 平安時代初期 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 承和3年4月15日(836年5月3日) |
別名 | 真河 |
官位 | 従四位下、宮内大輔 |
主君 | 桓武天皇→平城天皇→嵯峨天皇→淳和天皇→仁明天皇 |
氏族 | 藤原南家乙麻呂流 |
父母 | 父:藤原雄友、母:石上宅嗣の娘 |
兄弟 | 真川、広河、文山、秋常、弟河、弟男、藤原総継室 |
経歴
編集従五位下に叙爵後、延暦25年(806年)尾張守に任ぜられる。
弘仁元年(810年)薬子の変終結後に左衛士佐に任ぜられる。間もなく安芸守として地方官に転じ、弘仁3年(812年)甲斐守と嵯峨朝初頭に地方官を歴任する。同年3月に空海から密教の教典写経と布教の依頼を受け、空海の弟子が派遣されている。弘仁11年(820年)従五位上に叙せられる。また時期は不明ながら、阿波守・宮内大輔も務めた。
その後、天長8年(831年)正五位下、承和元年(834年)従四位下と淳和朝末から仁明朝初頭に昇進している。承和3年(836年)4月15日卒去。最終官位は散位従四位下。
官歴
編集注記のないものは『六国史』による。