藤原 行道(ふじわら の ゆきみち)は、平安時代初期の貴族藤原北家参議藤原楓麻呂の孫。従五位上藤原城主の長男。官位正五位下美作守

 
藤原 行道
時代 平安時代初期
生誕 延暦6年(787年
死没 斉衡元年12月19日855年1月11日
官位 正五位下美作守
主君 嵯峨天皇淳和天皇仁明天皇文徳天皇
氏族 藤原北家
父母 父:藤原城主
兄弟 行道、伊利、行縄、行人
三直、近野
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経歴 編集

弘仁8年(817年正七位上から五階の昇叙により従五位下叙爵。のち、嵯峨朝では民部少輔美作介近江介を歴任し、淳和朝天長7年(830年兵部少輔に任ぜられる。

仁明朝に入り、承和2年(835年)18年ぶりに昇叙され従五位上となる。のち、丹後守刑部大輔を経て、仁明朝末の嘉祥2年(849年)今度は14年ぶりに昇進して正五位下に叙せられた。仁寿3年(853年)美作守に任ぜられるが、在任中の斉衡元年12月19日(855年1月11日)卒去享年66。最終官位は美作守正五位下。

人物 編集

数多の内外の官職を歴任したが、その仕事ぶりに対して善し悪しの評判はなく、まさに中庸というべき佇まいであった[1]

官歴 編集

六国史』による。

系譜 編集

尊卑分脈』による。

脚注 編集

  1. ^ 日本文徳天皇実録』斉衡元年12月19日条

出典 編集