藤原隆経
日本の平安時代の貴族、歌人
藤原 隆経(ふじわら の たかつね)は、平安時代中期の貴族、歌人。藤原北家魚名流、右中弁・藤原頼任の子。官位は正四位下・美濃守。
時代 | 平安時代中期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | (1072年)頃? |
官位 | 正四位下、美濃守 |
主君 | 後朱雀天皇→後冷泉天皇→後三条天皇 |
氏族 | 藤原北家魚名流 |
父母 | 父:藤原頼任、母:藤原済家または伊勢守清家(姓不詳)の娘 |
兄弟 | 隆経、良経 |
妻 | 藤原親子 (藤原親国)の娘、源懐任の娘 |
子 | 顕季、師隆、藤原顕綱室 |
経歴
編集尊仁親王(後の後三条天皇)の春宮大進を務める。その他甲斐守、摂津守、美濃守等の国司を歴任し、延久4年(1072年)正四位下に昇った。
勅撰歌人として、『後拾遺和歌集』(3首)以下の勅撰和歌集に7首の和歌作品が採録されている[1]。