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蘇我石川

日本神話の人物
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蘇我 石川(そが の いしかわ[1]、生没年不詳)は、記紀等に伝わる古代日本人物

日本書紀』では「石川宿禰(いしかわのすくね)」、『古事記』では「蘇賀石河宿禰(そがのいしかわのすくね)」、他文献では「宗我石川」とも表記される。「宿禰」は尊称。

武内宿禰の子で、蘇我氏およびその同族の伝説上の祖とされる。蘇我満智の父とされている。

系譜編集

系譜に関して『日本書紀』に記載はない。『古事記孝元天皇段では、建内宿禰(武内宿禰)の子7男2女のうちの第三子として記載されている。

天平宝字6年(762年)の石川年足墓誌では、「武内宿禰の子宗我石川宿禰命」と見える[2]

記録編集

日本書紀応神天皇3年是歳条によると、百済辰斯王が天皇に礼を失したので、石川宿禰は紀角宿禰羽田矢代宿禰木菟宿禰とともに遣わされ、その無礼を責めた。これに対して百済は辰斯王を殺して謝罪した。そして紀角宿禰らは阿花王を立てて帰国したという。

古事記』では事績に関する記載はない。

また『日本三代実録元慶元年(877年)12月27日条では、石川朝臣木村の奏言のうちとして、宗我石川は河内国石川(現・大阪府富田林市の東半と南河内郡一帯)の別業に生まれ、これにより「石川」を名とし、さらに宗我(現・奈良県橿原市曽我町)の大家を賜り居としたので「宗我宿禰」が賜姓されたという[2]

後裔氏族編集

『古事記』では蘇我臣・川辺臣・田中臣・高向臣・小治田臣・桜井臣・岸田臣ら諸氏族の祖とする[1]

新撰姓氏録』では、次の氏族が後裔として記載されている。

  • 左京皇別 桜井朝臣 - 石川朝臣同祖。蘇我石川宿禰四世孫の稲目宿禰大臣の後。
  • 左京皇別 箭口朝臣 - 宗我石川宿禰四世孫の稲目宿禰の後。

考証編集

前述のように、名の「石川」に関して『日本三代実録』では河内国石川に由来するというが、大和国高市郡石川(現・奈良県橿原市石川町)に比定する説もある[1]。その中で、『古事記』で挙げる後裔氏族7氏の本貫は高向臣を除いて大和国内に比定されることも根拠の1つとして指摘される[1]

脚注編集

参考文献編集

  • 日野昭「蘇我石川」『国史大辞典吉川弘文館
  • 「宗我石川宿禰」『日本古代氏族人名辞典 普及版』吉川弘文館、2010年。ISBN 9784642014588

関連項目編集