蜀 泮(しょく はん、ベトナム語Thục Phán / 蜀泮、生年不詳 - 紀元前208年)は、甌雒の王。開明泮(カイ・ミン・ファン、ベトナム語Khai Minh Phán / 開明泮)とも。現在の中国四川省から渡来した[1]

安陽王 蜀泮
甌雒
代王
ホーチミン市の蜀泮像
王朝 甌雒
在位期間 紀元前257年 - 紀元前208年
都城 古螺
生年 不詳
没年 紀元前208年
蘆子覇王

生涯

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元は古蜀の王子で、古蜀最後の王であった蘆子覇王中国語版の子とされる[2][3][4]紀元前316年に古蜀がに滅ぼされた後、流浪の末に現在のベトナム北部のデルタ地帯に到達し、紀元前257年文郎国を滅ぼして甌雒を建国した。安陽王ベトナム語An Dương Vương / 安陽王)を称し、古螺に都を置いた。

紀元前208年南越国趙佗に滅ぼされた。

脚注

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  1. ^ 黎蝸藤 (2020年5月7日). “漢化與夷化:「中國人早已被遊牧民族化」是否成立?”. 関鍵評論網. オリジナルの2020年6月15日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20200615092443/https://www.thenewslens.com/article/134488 
  2. ^ Đại Việt sử ký toàn thư:
    姓蜀,諱泮。巴蜀人也。

      中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります:钦定越史通鉴纲目/前编/卷之一
  3. ^ Khâm định Việt sử Thông giám cương mục:
    舊史:王姓蜀諱泮,巴蜀人也。

      中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります:夢溪筆談/卷25
  4. ^ Taylor, Keith Weller (1983). The Birth of the Vietnam. University of California Press. p. 19. ISBN 978-0-520-07417-0. https://books.google.co.jp/books?id=rCl_02LnNVIC&pg=PA19#v=onepage&q&f=false