裴 仲規(はい ちゅうき、456年 - 503年)は、北魏官僚軍人本貫河東郡聞喜県

経歴編集

裴延儁の従祖弟にあたる。奉朝請を初任とし、侍御を兼ねた。咸陽王元禧司州牧となると、仲規は召されて司州主簿となり、建興郡の事務を代行した。孝文帝代郡から洛陽に帰るにあたって、仲規は将来の志望を訊ねられると、王府仕えや1郡の太守のみならず、帝のそばで功績を挙げたいと希望を述べた。まもなく司徒主簿に任じられた。仲規の父が郷里で病床に伏すと、仲規は公務を捨てて駆けつけ、制に違反した科で免官された。503年(景明4年)、中山王元英が義陽を攻撃すると、仲規は召されてその下で統軍となり、戦没した。享年は48。河東郡太守の位を追贈された。は貞といった。

子はなく、弟の裴叔義の次男の裴伯茂が後を嗣いだ。

伝記資料編集