西村彰一
西村 彰一(にしむら しょういち、1898年(明治31年)5月8日[1])- 1958年(昭和33年)11月24日[2])は、日本の農林官僚、教育者、政治家。富山県知事、大東文化大学教授、衆議院議員。旧姓・永井。
西村彰一 にしむら しょういち | |
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生年月日 | 1898年5月8日 |
出生地 |
日本 長野県上水内郡古牧村 (現・長野県長野市) |
没年月日 | 1958年11月24日(60歳没) |
出身校 |
東京帝国大学法学部政治学科卒業 東京帝国大学農学部農業経済学科卒業 |
前職 | 農林省山林局長 |
所属政党 |
(右派社会党→) 日本社会党 |
選挙区 | 旧長野1区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1955年2月27日 - 1958年4月25日 |
官選 第30代 富山県知事 | |
在任期間 | 1944年2月25日 - 1944年7月25日 |
経歴
編集長野県上水内郡古牧村平林(現長野市)出身[3]。旧制長野中学(現長野県長野高等学校)[3]、松本高等学校理科を経て1923年、東京帝国大学農学部農業経済学科を卒業し、翌1924年、同大法学部政治学科を卒業。農林省に入り農林属となる[2]。
以後、農林事務官、農林書記官、大阪営林局長、農林省山林局長などを歴任[2]。1944年2月、富山県知事に就任し、同年7月まで在任[4]。農商省農政局長に移り、さらに馬政局長官、農林省開拓局長を務めた[2]。
戦後に退官し、公職追放となり[5]、京都帝国大学・日本大学・専修大学の各講師、大東文化大学教授を務める。その他、全国種苗協会長、拓洋水産社長、長野県農業委員協議会長、東京教育研究所長などを歴任[2][4]。
1955年2月の第27回衆議院議員総選挙で長野県第1区に日本社会党(社会党右派)から出馬し当選。衆議院議員を一期務め、日本社会党企画部長、同党長野県連委員長を歴任[2]。
1958年11月24日死去。享年60。
脚注
編集参考文献
編集- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
- 赤羽篤外編『長野県歴史人物大事典』郷土出版社、1989年。
- 戦前期官僚制研究会編『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』東京大学出版会、1981年。
官職 | ||
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先代 坂信彌 |
富山県知事 官選第30代:1944年 |
次代 岡本茂 |