護法一揆(ごほういっき)とは、明治時代初期に起こった廃仏毀釈などの現象に対する、仏教(宗教)への護法(信仰)を掲げて起こされた一揆(活動・暴動)のこと。特に真宗大谷派僧侶信者による一揆を指す場合がある。

概要

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新政府による、文明開化近代化の行財政改革に対して、仏教の僧侶・信者の間でこれに抵抗する動きが発生した。中には一揆に訴える者もおり、実際に発生した一揆及び未遂事件の中には、真宗大谷派の者が多く含まれていたことから、同派との関係で研究されることが多い。ただし、実際には役人・豪商・地主などへの攻撃や、地租改正などの政策に対する反発、洋学耶蘇に対する反発も含まれ、地租改正反対一揆世直し一揆としての側面も有していた。

護法一揆、またはその未遂事件は10件ほど知られており、それは明治3年(1870年)から明治6年(1873年)の間に集中している。特に大規模な一揆として、明治4年(1871年)に三河国碧海郡幡豆郡(特に菊間藩飛領地域)で発生した「三河大浜騒動」、明治5年(1872年)に越後国信濃川流域で発生した「新潟県分水一揆信越地方土寇蜂起)」、明治6年(1873年)に越前国大野郡今立郡坂井郡で発生した「越前護法大一揆福井県大野・今立・坂井郡一揆)」などが挙げられる。

参考文献

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  • 吉田久一「護法一揆」(『国史大辞典 5』(吉川弘文館、1985年) ISBN 978-4-642-00505-0
  • 三上一夫「護法一揆」(『日本歴史大事典 2』(小学館、2000年) ISBN 978-4-09-523002-3

関連項目

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