護浄院(ごじょういん)は、京都市上京区荒神町にある天台宗寺院本尊清三宝大荒神。通称は清荒神(きよしこうじん)。観音堂(本尊・准胝観音)は洛陽三十三所観音霊場第3番札所。

護浄院

山門
所在地 京都府京都市上京区荒神口通寺町東入ル荒神町122
位置 北緯35度1分16.5秒 東経135度46分6.4秒 / 北緯35.021250度 東経135.768444度 / 35.021250; 135.768444座標: 北緯35度1分16.5秒 東経135度46分6.4秒 / 北緯35.021250度 東経135.768444度 / 35.021250; 135.768444
宗派 天台宗
本尊 清三宝大荒神
創建年 宝亀3年(772年
開基 開成皇子
正式名 常施無畏寺護淨院
別称 清荒神
札所等 洛陽三十三所観音霊場第3番
京都七福神恵比寿
京の七福神福禄寿
通称寺の会(清荒神)
法人番号 5130005001876 ウィキデータを編集
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歴史 編集

寺伝によれば、宝亀3年(772年)に光仁天皇の子の開成皇子摂津国勝尾山で修行中に荒神が出現し、開成は自らその荒神を模刻するとその場に三宝荒神尊として堂宇を建て、祀ったのが始まりである。

明徳元年(1390年)に後小松天皇の命で乗厳律師が京都の高辻堀川の東に遷座する。慶長5年(1600年)に後陽成天皇の命で現在地に遷座し、常施無畏寺(通称は常施寺)の名を賜っている。元禄7年(1694年)、御所の浄域を護るということから東山天皇から護浄院の名を賜る。

天明8年(1778年)正月の天明の大火で焼失するが寛政年間(1789年 - 1801年)に再建する。

明治時代に入ると御所内や公家の邸宅で祀られていた仏像が多数ここに移された。

京の七口の一つ荒神口の名称は当寺からきている。

境内 編集

前後の札所 編集

洛陽三十三所観音霊場
2 誓願寺 - 3 護浄院 - 4 革堂行願寺
京都七福神恵比寿
京の七福神福禄寿
通称寺の会(清荒神)

年中行事 編集

  • 2月 節分会
  • 5月 大般若転読法会
  • 11月 採燈大護摩供
  • 毎月28日 荒神護摩供

交通アクセス 編集

周辺 編集

参考文献 編集

  • 清荒神御由緒

外部リンク 編集