谷口 三郎(たにぐち さぶろう、1885年明治18年)4月7日[1][2] - 1957年昭和32年)8月13日[1][2])は、大正から昭和時代の土木工学者内務技監

経歴 編集

広島県に生まれる[1]1909年(明治42年)東京帝国大学工科大学土木工学科を卒業し、北海道庁に入り、小樽留萌の築港工事を担当する[1]1915年(大正4年)内務省に転じ、1918年(大正7年)大阪土木出張所勤務を発令され、10余年に渡り淀川改修工事に従事した[1]1934年(昭和9年)土木局第一技術課長、1936年(昭和11年)東京土木出張所長を経て、1939年(昭和14年)に内務技監となり、1942年(昭和17年)に退官した[1]。この間、1941年(昭和16年)土木学会第29代会長に就任し、同職を1年間務めたほか[2]ブラジルエジプトで土木工学を教えた[1]

退官後は、日中親善に尽力し、1948年(昭和23年)まで鴨緑江黄河などの治水事業を指導[1]。帰朝後は建設工事の機械化の推進を主張し、1950年(昭和25年)日本建設機械化協会初代会長となった[1]。ほか、内務省の技術者の地位向上に尽力した[1]

栄典 編集

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g h i j 高橋、藤井 2013, 84頁.
  2. ^ a b c 歴代会長紹介”. 公益社団法人 土木学会. 2019年11月25日閲覧。
  3. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献 編集

  • 高橋裕、藤井肇男 共著『近代日本土木人物事典: 国土を築いた人々』鹿島出版会、2013年。ISBN 4306094294