豊崎町 (長崎県)

日本の長崎県上県郡にあった町

豊崎町(とよさきまち)は、長崎県上県郡にあった町。1955年(昭和30年)に南隣[1]琴村と合併し、上対馬町となった。

とよさきまち
豊崎町
廃止日 1955年4月1日
廃止理由 新設合併
豊崎町琴村上対馬町
現在の自治体 対馬市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 長崎県
上県郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 5,510
国勢調査、1950年)
隣接自治体 上県郡琴村佐須奈村
豊崎町役場
所在地 長崎県上県郡豊崎町大字比田勝795番地
座標 北緯34度39分18秒 東経129度27分49秒 / 北緯34.65492度 東経129.46358度 / 34.65492; 129.46358座標: 北緯34度39分18秒 東経129度27分49秒 / 北緯34.65492度 東経129.46358度 / 34.65492; 129.46358
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現在の対馬市上対馬町の北部にあたる。

地理 編集

対馬島の最北端に位置する。

  • 山:オロン岳、加治我岨(かじがそね)
  • 島嶼:海栗島、海老島、裸島、三つ島、高ノ島、中ノ島、鳥島、荻ノ島、品木島、志古島、東風防島、沖椎根島、地椎根島、裏島、小島
  • 港湾:比田勝港、泉湾、大浦湾、津和浦

沿革 編集

当町域の一帯について、中世は「豊崎郡」および「佐護郡」の各一部、近世は「豊崎郷」および「佐護郷」の各一部に属した[2][3][4][5][6]。また『津島紀事』によれば、豊崎郷内には枝村1村を含む18村[7]、佐護郷内には8村[8]が属していたとされる[5][6]。豊崎郷と佐護郷は対馬島内の他の各郷とともに明治5年に廃止された[5][6]

  • 1908年(明治41年)4月1日 - 島嶼町村制施行により、大浦村・河内村・鰐浦村・豊村・泉村・西泊村・古里村・比田勝村・網代村・富ヶ浦村・唐舟志村・玖須村・浜玖須村・大増村が合併し上県郡豊崎村が発足[9]
  • 1948年(昭和23年)12月1日 - 豊崎村が町制施行、豊崎町となる[10]
  • 1955年(昭和30年)1月1日 - 琴村と合併して上対馬町が発足し、豊崎町は自治体として消滅。

地名 編集

大字を行政区域とする。

  • 網代(あじろ)
  • 泉(いずみ)
  • 大浦(おおうら)
  • 大増(おおます)
  • 河内(かわち)
  • 玖須(くす)[11]
  • 唐舟志(とうじゅうし)
  • 富ヶ浦(とみがうら)
  • 豊(とよ)
  • 西泊(にしどまり)
  • 浜玖須(はまぐす、はまくす)[12]
  • 比田勝(ひたかつ)
  • 古里(ふるさと)
  • 鰐浦(わにうら)

名所・旧跡 編集

参考文献 編集

脚注 編集

  1. ^ 市町村変遷パラパラ地図 完全版 長崎県 1954年4月1日
  2. ^ 対馬6町合併のあゆみ 対馬6町合併協議会(総務省 合併デジタルアーカイブ)
  3. ^ 角川日本地名大辞典 42 長崎県「豊崎郡」
  4. ^ 角川日本地名大辞典 42 長崎県「佐護郡」
  5. ^ a b c 角川日本地名大辞典 42 長崎県「豊崎郷」
  6. ^ a b c 角川日本地名大辞典 42 長崎県「佐護郷」
  7. ^ 西津屋・河内・左河内・大浦・鰐浦・豊・泉・西泊・古里・比田勝・網代・富浦・津和原(つわばる)・唐舟志・浜久須・大増・五根緒・舟志の各村からなる。幕末から明治初期までに左河内村は河内村に、津和原村は唐舟志村にそれぞれ統合されたものとみられる。
  8. ^ 深山・仁田内・恵古・井口・友谷・湊・佐須奈・玖須(久須)の各村からなる。このうち佐須奈村と玖須村を除く6村は1876年(明治9年)に統合され、佐護村となった。
  9. ^ 長崎縣令第二十號『対馬の各町村合併及びその名称に関する件[1][2]』長崎県公報 明治41年3月25日付号外
  10. ^ 総理府告示 第6号 村を町とする処分 官報. 1949年01月21日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  11. ^ 「久須」とも表記。
  12. ^ 「浜久須」とも表記。
  13. ^ 塔の首遺跡 長崎県の文化財
    ※上対馬町発足後の1977年(昭和52年)、国の史跡に指定。
  14. ^ 鰐浦ヒトツバタゴ自生地 長崎県の文化財

関連項目 編集