拓殖大学の応援団は、1972年に退部を申し出た一年生団員に暴行を加えたことが発覚して廃部。その後、応援団を近代的するとの申し入れがあり、反省の色が見えたとして1974年に応援団の復活を総長として許可したものの、1978年に再び暴行事件が発生。新入生1人が死亡したことから即刻総長の辞任を決意し、商学部の教授職も辞任して大学から退いた。同時に応援団員10人が退学処分となり、応援団は永久に廃止された[1]。
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