言語霊感(げんごれいかん、バーバル・インスピレーション、verbal inspiration)とは、聖書の霊感が思想だけではなく、言葉に及んでいるとする聖書の霊感説である。言語霊感説と対極をなす霊感説は思想霊感説である。

聖書観

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この語は逐語霊感(ちくごれいかん)と訳されることもあったが[1]機械霊感(mechanical inspiration)と混同され非難される場合があるので、日本の福音派では、逐語霊感と訳さず、言語霊感と訳すようにすすめられている[2]高倉徳太郎も言語霊感と機械霊感を同一視しており[3][4]、混同が指摘されている[5]福音派は言語霊感の立場をとるが、機械霊感説を退けている。[6][7]

思想は言葉を媒介されなければ表現されず、霊感と言葉は結びついているため、思想霊感では講解説教が出来ないと指摘される。[8]

聖書信仰では十全霊感とあわせて言語十全霊感と呼ばれる。言語霊感は福音主義の伝統的立場である[9]

批判

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自由主義神学カール・バルトらの新正統主義は、言語霊感の立場をとらない。カール・バルトは、『教会教義学』(1・二)で、言語霊感は聖書を「神託の書物」にする「魔術的・機械的物化」だとして非難している。[10]

植村正久は『宣言若しくは信条』で言語霊感を逐語霊示と呼び、「文字崇拝の聖書推尊説」としてこれを拒否している[11]

脚注

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  1. ^ 角田桂嶽によるジョン・グレッサム・メイチェンの古い翻訳書などは逐語霊感と訳している。
  2. ^ 『神の言葉である聖書』p.76
  3. ^ 高倉徳太郎『オーソドクシーおよび福音主義の本質』
  4. ^ 佐藤敏夫『高倉徳太郎とその時代』
  5. ^ 『福音主義キリスト教と福音派』p.163
  6. ^ 『神の言葉である聖書』
  7. ^ 『現代福音主義神学』
  8. ^ 『聖書の教理』
  9. ^ 『現代福音主義神学』p.249
  10. ^ カール・バルト『教会教義学』新教出版社
  11. ^ 『福音主義キリスト教と福音派』p.159

関連項目

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参考文献

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