画像提供依頼:祭の様子の画像提供をお願いします。2016年5月

遠州大念仏(えんしゅうだいねんぶつ)は、主に静岡県浜松市や近隣の市町で行われている盂蘭盆習俗であり、浜松市の無形民俗文化財に指定されている(1972年3月1日旧浜松市指定、1995年1月1日浜北市指定)。

概要編集

毎年7月のお盆の夜に初盆の家を回って太鼓鉦(双盤)などにあわせて念仏踊りを披露する。代表的なイベントとして、鹿谷町(浜松市中区)の犀ヶ崖公園(旧アソカ布橋幼稚園)で、毎年7月半ばに大念仏が開催されている。

かつてはこの際に披露される念仏踊りを「トッタカ」と呼んだ。

この大念仏は、三方ヶ原の戦いおよび犀ヶ崖の戦いで犠牲となった人を弔うために始まった[1]。この戦いで命を落とした武田勢兵士の怨念がもたらしたとされる夜な夜な響き渡る呻き声や叫び声の他、疫病の発生やイナゴ等の病害虫の大量発生といった災悪が発生し、その武田勢の鎮魂のために徳川家康に迎え入られた宗円僧侶の下、行われる行事になった。

2020年新型コロナウイルスCOVID-19)の感染拡大状況を鑑み、遠州大念仏の実施を全面的に自粛した。

その他編集

  • 犀ヶ崖の戦いでは、敗走する徳川家康の居城である曳馬城(浜松城)まで追ってきた武田勢を迎撃する為、犀ヶ崖に布の橋を架けておき、曳馬城の城門をすべて開け放ち、篝火を焚いて奇計を練っているものと武田勢を油断させ、退却し掛けたところを奇襲を仕掛け、慌てて逃げだした武田勢が暗闇の中にぼんやりと見える布の橋に向かってなだれ込み、多くの武田勢の兵士が犠牲となった。その結果として攻撃を食い止めたという伝承がある。この伝承が同地域の地名、布橋の由来となった。
  • 大念仏が広まるにつれ、本来の盂蘭盆習俗としての色彩が薄れ、娯楽的な様相を見せるようになり、大念仏の組が徒党を組んで暴力沙汰を起こすようになり、天竜川を挟んで東西の組が抗争を起こす事態にまで発展したため、一時は「大念仏禁令」が発布されるまでに至った。しかしその後はそうした暴力沙汰などの動きを封じる策を講じ、盂蘭盆習俗としての「大念仏」が再び興されるようになった。
  • 北遠地方の一部(旧周智郡春野町等)などでは「大念仏」の他に「放歌おどり」という名称で呼ぶ地方が存在する。
  • 2020年新型コロナウイルスCOVID-19)の感染拡大状況を鑑み、遠州大念仏の全面的な自粛が発表された。

脚注編集

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参考文献編集

関連項目編集

外部リンク編集