遷善館(せんぜんかん)は、1803年享和3年)に設けられた久喜郷(現:埼玉県久喜市)の郷学である。

概要

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遷善館は1803年享和3年)に代官早川八郎左衛門正紀により創始された郷学である[1][2]。造営費は村民の井上清兵衛が負担し、幕府も敷地を与えたり、年貢と夫役を免除したりするなどの援助を行った[1]藩学寺子屋の中間に位置する郷学という学問所であるため、武士のみでなく主に村民のための教育機関であった。一般庶民を対象とする教諭日と町村の役人層の子弟を対象とする経書の講釈日があった[1]。1820年(文政3年)吉岡治郎右衛門の支配中に廃止された[1](廃止には諸説ある)。

所在地としては久喜本町とされているが[1]1878年明治11年)の久喜の大火により資料が所在不明となっているため、詳細は不明である。

なお、埼玉県域においては遷善館の他、1811年文化8年)に創始された岩槻藩戩穀堂(せんこくどう)が郷学として挙げられる。

略歴

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主な教授

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関連項目

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  • 遷善館扁額 - 江戸時代後期に遷善館の玄関の上に掲げられていたとされたもので、1996年平成8年)4月1日に久喜市指定有形文化財に指定された[2][3]。大きさは縦62cm・横137cm・厚さ2cmであり、重さが14.6kgである[2][3]。また、縁の幅は7.8cmあり、厚さは5.5cmである。素材にはケヤキが用いられている[2][3]
  • 遷善館の碑 - 1996年平成8年)11月に「新建久喜遷善館記」の石碑が復刻され、現在久喜市公文書館前の植栽の中に建てられている[4]

脚注

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参考文献

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  • 『久喜市史 通史編 上巻(710ページ~724ページ)』久喜市史編さん室編集、埼玉県久喜市、1992年1月20日

外部リンク

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