部屋住み(へやずみ)は、

  1. 日本家族に存在した地位の一つ。嫡男ではあるがまだ家督相続していない者、またはその状態のこと[1][注 1]
  2. 上記とは別に、家督を相続できない次男以下で、分家・独立せずに当主である親や兄の家に留まっている者のこと[2]。本記事の次男以下の「部屋住み」を参照。
  3. 暴力団における地位の一つ。組事務所に居住して組長の雑用などを行う者を指す。本記事の暴力団における「部屋住み」を参照。

次男以下の「部屋住み」

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元来が軍人・戦闘階級である武士は、戦死と後継を前提とした武家社会を形成したが、このため太平の世が長く続いた江戸時代には人口過剰に悩まされるという矛盾を孕んだ。旗本御家人の家を継いだ者でさえ役職にあぶれた小普請が無聊を託つありさまで、まして次男以下では分家による領地分割が限界に達すると、仕官か他家へ養子の口でも無ければ自らの家・領地を持てない浪人や部屋住みとして生きることになった。農民など他の階層でも同様のことは起こりえたが、特に支配階級である武士が身分を捨てる決断もできぬまま展望の薄い小普請や部屋住みの境遇に甘んじる場合が多かった。

次男以下の就職は困難であるため、分家・独立するほどの財力や地位を持っていない大多数の家では、実家に居候という形で次男以下に屋敷の部屋を与えて住まわせた。長男が亡くなった場合に血統を絶やさないための万が一の予備としての役割であったため、妻子を持つことは基本的に禁じられ、不遇な生活を強いられたといわれる(飼殺し、冷や飯食い)。特に役職や仕事が貰えないため、長男よりも学問や武芸・茶道などの芸道を深く修めて達者になり、師範代として職を得た者もいたという。兄が死去することで次男以下が繰り上がって家督を継いだ例は数知れないが、中でも井伊直弼の15年間にも及ぶ部屋住みはよく知られている。

御家人の子として生まれた小説家岡本綺堂は、自身の小説中において「部屋住み」を以下のように述べている。

旗本に限らず、御家人に限らず、江戸の侍の次三男などというものは概して無役の閑人であった。彼らの多くは兄の屋敷に厄介になって、大小を横たえた一人前の男がなんの仕事もなしに日を暮らしているという、一面から見ればすこぶる呑気らしい、また一面から見れば、頗る悲惨な境遇に置かれていた。

なお、「部屋住み」という語は主に武家社会や町人社会で用いられたとされ、農民層では「おじ」、「おんじ」という言葉がそれに相当した[3]。特に信濃国伊那郡神原村(現・長野県下伊那郡天龍村)では、当主の弟妹は「おじろく・おばさ」と呼ばれ、社会生活から隔離されて家庭内労働のみを行う下人的存在として扱われる慣習が存在したという。

部屋住勤仕

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江戸時代には役職も世襲であることが慣習化しており、当主が死去または隠居しない限り、家督相続を予定されている者であっても、無役であり勤仕することはなく(部屋住み惣領)、出仕させるには、当主が健在であれば隠居させる他なく、50歳を超えて家督を継ぐ例も見られた。家督の承継がなければ、職について経験を積むことが難しいところ、さらに、もし、惣領当人が優秀である場合などで当主が現職で活躍しているならば、あえて、隠居させるのは人材の無駄ともなるという矛盾があった。この問題を解消すべく、徳川吉宗享保の改革の一環として、当主が役職に就いている旗本家の惣領の中から、日頃の行状・人柄、武芸出精、学問出精の者を大番組など番方に加え(番入)出仕させるという「惣領番入」制度を創設した[4]。番入後、勤務状況によっては、役方に任用されるなど上の役職に抜擢されることもあった。惣領番入で出仕することで、惣領当人には家禄と役に応じた役料の差額が切米として支給された(役付き時に限るため足高の制が適用される)。吉宗の時代には、学問出精を理由として番入する惣領は皆無であり、「武芸吟味」などによる武芸出精の者が見出され、学問による人材登用は、この後の寛政の改革時に創設された「学問吟味」などによった。幕末に至っては、塚原昌義のように部屋住みのまま若年寄まで昇進する例も見られた[注 2]

暴力団における「部屋住み」

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暴力団においては、組の事務所に居住して組長の雑用などを行う者を部屋住みということがある。組に入りたての新人ヤクザが最初に与えられる役目の一つで、部屋住みは他の組員と共同生活を送りながら事務作業、雑用、接客対応を行い、行儀作法も覚えていく、ヤクザの初歩となる期間ともされる[5]。特に最大規模の暴力団である山口組総本部の部屋住みには厳しい採用条件があるとされる[6]。部屋住みの者は、資金獲得のための活動(シノギ)を行えないことから、組長などから小遣いなどの名目で金銭が渡されることがある[7]

しかし、事務所に長期間拘束される部屋住みの生活は過酷で、大半の者が半年も経たずに逃亡するともいわれ、作法で間違いを犯すと目上の組員から暴力で制裁されたり[5]、いじめなど部屋住み同士のトラブルも発生したりすることがある[6]。また、近年はヤクザ人口の減少や若者の価値観の変化(拘束されることを嫌うなど)を受け、部屋住み制度を廃止する組も現れている[6]

脚注

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注釈

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  1. ^ これと区別し、旗本などで将軍への御目見を済ませ家督を継ぐことが承認されながら、親が生存し隠居しておらず、役についていない者は、部屋住み惣領と呼ばれた。
  2. ^ ただし、それ以前においても、家督を相続しないまま要職についた田沼意知の例が挙げられる。

出典

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  1. ^ 部屋住み(へやずみ)の意味”. goo国語辞書. 2019年11月27日閲覧。
  2. ^ 部屋住み』 - コトバンク
  3. ^ 宮川満 著「部屋住」、国史大辞典編集委員会 編『国史大辞典 12 ふ-ほ』吉川弘文館、1991年6月30日、507頁。ISBN 9784642005128 
  4. ^ 横山輝樹「惣領番入制度、その成立と意義 : 吉宗期の武芸奨励と関連して」『日本研究』第45巻、国際日本文化研究センター、2012年3月30日、51-113,、CRID 1390853649700757120 
  5. ^ a b 「“暴力を振るう小舅”が家に10人以上いるようなもの」ミスをしただけで鉄拳制裁…人権も給料もない「新米ヤクザ」のあまりにもツラい生活実態 - 文春オンライン、2024年7月8日閲覧。
  6. ^ a b c 六代目山口組総本部「部屋住み」事情…ヤクザの登竜門も過酷過ぎて希望者減少で「宝物」扱い - ビジネスジャーナル、2024年7月8日閲覧。
  7. ^ 暴力団の構造と活動

関連項目

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