酒井忠勝 (左衛門尉系第2世)
戦国時代に松平氏に付属した武将、左衛門尉系酒井氏第2世。三河国額田郡井田。
酒井 忠勝(さかい ただかつ、生年没年不明)は戦国時代に松平氏に付属した武将、酒井佐衛門尉家第2代当主。父は初祖の氏忠。三河国額田郡井田(現在の愛知県岡崎市井田)の人。徳川四天王酒井忠次の曾祖父にあたる。酒井康忠の父。
概要
編集酒井氏一族は三河国額田郡井田を拠点とし、安祥城に居城する松平氏の譜代家臣であった。忠勝は幼名小五郎、通称を左衛門尉を名乗ったと『藩翰譜』には記す。
同国妙源寺の大永6-7年(1526年-1527年)頃成立と推定の『三州桑子明源寺過去帳』の松平氏家臣奉加帳には「酒井左衛門尉」が銭二百匹(2貫文・家臣で最高額)を寄進しており、國學院大學の研究者・平野明夫によれば、当時は酒井左衛門尉は宗家当主松平清康に属したとされ、これとは別に同国幡豆郡大浜(愛知県碧南市)に隠居した前当主松平信忠(宗家第6代)に属した家臣グループ(酒井与四郎母・榊原孫十郎など)があったとする[1]。
また、三河大樹寺寄進状によれば、享禄4年10月15日(新暦1531年11月23日)付けで田地十二貫目を寄進し、酒井藤七郎忠勝と署名している。また、同年12月(新暦1532年1月)にも同大樹寺文書に藤七郎長勝と見え、同一人物とみられる(中島次太郎『徳川家臣団の研究』pp163、『岡崎市史』)。 大樹寺寄進の事実からも宗家の安祥松平家に仕えたと推測される。
脚注
編集- ^ 但し、この左衛門尉は実名が記されていないので藤七郎と名乗った酒井忠勝と同一人物かは確実ではない。
参考文献
編集- 中島次太郎『徳川家臣団の研究』国書刊行会、1981年
- 新井白石(原著)『新編 藩翰譜 第1巻』人物往来社、1967年
- 平野明夫『三河松平一族』新人物往来社、2002年 ISBN 4-404-02961-6