重慶トンネル虐殺事件

重慶トンネル虐殺事件(じゅうけいトンネルぎゃくさつじけん、中国語:重庆隧道惨案)は、日中戦争中の1941年6月5日中国重慶日本軍が実施した重慶爆撃の際に、防空壕として掘られたトンネル(防空洞)内で起きた大量死亡事件。六五大トンネル事件とも呼ばれる。

事件の経過編集

重慶には、当時の重慶国民政府によって日本の航空機の攻撃を避けるための防空洞が多く掘られた。防空洞は通常の防空壕と違い、砂岩をくり抜いて作った洞、及び防空洞と同目的で使われた地下トンネルなどである。現場となった大トンネル(十八坡トンネル)もその一つで市の中心部の少し西の十八梯に位置していた。

1941年6月5日21時、日本軍は重慶で大規模な爆撃を開始した。日本軍は24機の爆撃機で3回にかけて砲撃、空爆は3時間ほど続いた。この空爆は5時間ともいわれている[誰によって?]

この際に、市民1万人が4000から5000人しか入れない十八坡トンネルに突入し、空爆中にトンネル上部で火災が起きた。トンネル入り口の憲兵が爆撃が終わっていないことを理由に防空洞の外に出ることを阻止したため酸素不足、及び混雑による押し、踏みつけにより窒息死する者が出た。

公式調査によると死者は992人とされていたが、複数の重慶の地元の年代記では2000人から3000人が死亡したと記されている[1]

この被害者数は第二次世界大戦の一回の爆撃による間接被害者数の総数としては最も多いとされる[2]戦死には含まれない。

追悼編集

重慶市は毎年6月5日を「防空警報試験日」としている。1998年以来、重慶の主要都市の防空警報は毎年この日に鳴らされていて、政府は人々に国恥を忘れず、歴史を銘記するよう促している。また、トンネルがあったところは現在遺跡として残っており、生存者や犠牲者の遺族になどよる追悼式が行われている。

映像編集

中国のテレビ番組「记忆之城」(「記憶の町」の意味)では重慶大爆撃を背景に起こったこの惨劇を紹介している。

脚注編集

  1. ^ 杨筱 (2000). “关于重庆“大隧道窒息惨案”两个问题的补充讨论” (中国語) (pdf). 抗日战争研究 (2). http://img.krzzjn.com/2020/0505/20200505081546399.pdf. 
  2. ^ “歴史を銘記 重慶市で「重慶大爆撃」追悼記念行事”. 新華網NEWS. (2018年6月6日). http://jp.xinhuanet.com/2018-06/06/c_137233781.htm 2021年11月11日閲覧。 

参考資料編集

関連項目編集