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金剛院(こんごういん)は京都府舞鶴市鹿原にある真言宗東寺派寺院。山号は鹿原山、寺号は慈恩寺。本尊は波切不動明王

金剛院
金剛院塔婆.JPG
三重塔(重要文化財)
所在地 京都府舞鶴市鹿原595
位置 北緯35度28分35.29秒 東経135度26分48.96秒 / 北緯35.4764694度 東経135.4469333度 / 35.4764694; 135.4469333座標: 北緯35度28分35.29秒 東経135度26分48.96秒 / 北緯35.4764694度 東経135.4469333度 / 35.4764694; 135.4469333
山号 鹿原山(かわらさん)
院号 金剛院
宗旨 真言宗東寺派
宗派 真言宗東寺派
本尊 波切不動明王
創建年 伝・天長6年(829年
開基 伝・高岳親王
正式名 鹿原山 慈恩寺 金剛院
札所等 関西花の寺二十五霊場3番
文化財 三重塔・絹本着色薬師十二神将像・木造執金剛神立像ほか(重要文化財)
法人番号 4130005011802
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金剛院本堂

三島由紀夫の小説「金閣寺」の舞台である。 秋には、江戸時代細川幽斎(藤孝)が鶴亀の庭とともに植樹されたが有名で多くの参拝がある。

目次

歴史編集

『金剛院慈恩寺縁起』(元禄11年・1698年)によれば、天長6年(829年)、高岳親王(たかおかしんのう、799 - 865)が高野山から弁才天を勧請し創建したという。平城天皇の第3皇子の高岳親王は、嵯峨天皇の皇太子となったが、薬子の変に連座して皇太子位を廃された。親王は後に空海の弟子となり、真如法親王とも呼ばれる。本尊は当初は阿弥陀如来であったが、後に不動明王に変わった。縁起によれば永保2年(1081年)、白河天皇比叡山無動寺から相応和尚作という不動明王像を勧請し再興。久安2年(1146年)美福門院により再々興されたという[1]

室町時代には三重塔が再建された。

境内編集

文化財編集

重要文化財(国指定)

所在地編集

〒625-0014 京都府舞鶴市鹿原595(金剛院京都府歴史的自然環境保全地域)

催事編集

  • 毎月28日午前8時 - 不動
  • 11月 - もみじまつり

交通アクセス編集

奉行杉編集

 
金剛院奉行
  • 金剛院を含む地域一円は、平安時代後期には「志楽庄」と呼ばれた地域で、武士 平忠盛の子の清盛が支配したこともある地域である。この、金剛院の参道の入り口付近にそびえる、高さ約25メートルの巨大なは「奉行杉」と呼ばれ、同院の造営奉行を命じられた忠盛が植えたとの言い伝えがあるものである。

周辺編集

脚注編集

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  1. ^ 『日本歴史地名大系 京都府の地名』、p.690; 『日本名刹大事典』、p.257

参考文献編集

  • 『日本歴史地名大系 京都府の地名』、平凡社、1981
  • 圭室文雄『日本名刹大事典』、雄山閣、1992

関連項目編集

ギャラリー編集

外部リンク編集