鈴木行男
日本の政治家
鈴木 行男(すずき ゆきお、1908年9月18日[1] - 1971年6月6日[1])は、日本の政治家。元山形県上山市長(2期)。山形県南村山郡西郷村出身。
鈴木 行男 すずき ゆきお | |
---|---|
上山市体育協会誌60年のあゆみ | |
生年月日 | 1908年9月18日 |
出生地 | 南村山郡西郷町 |
没年月日 | 1971年6月6日(62歳没) |
出身校 | 山形師範学校(現山形大学教育学部) |
親族 | 甥:遠藤利明 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1966年9月16日 - 1971年6月6日 |
山形県議会議員 | |
選挙区 | 上山市選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1955年4月 - 1958年8月23日 |
在任期間 | 1959年4月 - 1961年9月17日 |
来歴
編集山形師範学校(現在の山形大学教育学部)卒業。卒業後は小学校教員として勤務。
蔵王林間学校長、西郷村村長2期などを歴任。
1955年に山形県議会議員に初当選。1958年に上山市長選出馬のため辞職。
1958年9月に上山市長選に出馬し、松本長兵衛と一騎打ちとなるも、落選。
1959年4月に山形県議会議員に再選。1961年に選挙法違反のため失格。
1966年8月30日に上山市長選挙に再出馬し、元山形県議会議員であった菅沼儀平との一騎打ちを制して同年9月初当選。
1970年9月の市長選では、元市議会議員で日本共産党の小池九四郎との一騎打ちを制して2選。
市長在任中の1971年4月30日体調が悪化、同年6月6日、肝硬変により死去した。
1971年6月15日、上山市市民会館において市葬が執り行われた[2]。
政策
編集西郷村村長の頃、ブドウ栽培を奨励し、全国にただ1か所のブドウ主産地形成の指定をうける母体をつくった。
小中学校給食の実施、ステーション方式によるごみ収集の実施、市民勤労青年ホームおよび市民会館の開館を推進するなど治績を残した。
性格は質実剛健。努力すれば通ずるの信念をもって、物事の解決には身をもって当たる行動性に富み、また相談をうければ責任をもって心配してやる人情豊かな人物と評される。[3]
脚注
編集参考文献
編集- 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年。