長嶺 華国(ながみね かこく、1852年2月8日尚泰5年1月19日) - 1932年昭和7年)12月18日)は、琉球王国沖縄県画家。本名は宗恭(そうきょう)。首里生まれ。琉球王府の貝摺奉行所の絵師登用試験に合格した最後の一人で、琉球王国時代末期の風俗を描き、琉球処分後は独自の画法で『芭蕉図』を描いた(沖縄県立博物館・美術館蔵)[1]

また、自了以後の琉球王府の画家の歴史を『琉球歴代画人表』にまとめ、末吉麦門冬(戦前の『沖縄タイムス』主筆で『琉球画人伝』を連載)や鎌倉芳太郎(二次にわたり琉球芸術調査を行い、写真とメモで琉球芸術を記録した。その一端は著書『沖縄文化の遺宝』に見える)に大きな影響を与えた[2]

出典 編集

  1. ^ 琉球新報
  2. ^ 与那原恵『首里城への坂道』中公文庫、p. 66

関連項目 編集

  • 仲宗根嶂山 - 琉球王府最後の絵師の一人。西洋画の手法を取り入れ、『首里旧城の図』を描いた。