長町 (宮城県)

日本の宮城県仙台市太白区にある地名
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長町(ながまち)は、宮城県仙台市太白区にある地名である。江戸時代奥州街道宿場町である長町宿(ながまちじゅく)として始まり、数度にわたる合併や町村名変更を経て昭和始めに仙台市に編入され、仙台南部における交通の要衝、流通の中心地の一つとして発達した。

ながまち
長町
廃止日 1928年4月1日
廃止理由 編入合併
長町原町仙台市
現在の自治体 仙台市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 宮城県
名取郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 6,756
国勢調査、1920年10月1日)
隣接自治体 名取郡西多賀村中田村六郷村
宮城郡七北田村七郷村
仙台市
長町役場
所在地 宮城県名取郡長町
座標 北緯38度13分27.8秒 東経140度52分38.0秒 / 北緯38.224389度 東経140.877222度 / 38.224389; 140.877222 (長町)
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現在は町名として長町、長町南、あすと長町があり、また鉄道駅として長町駅長町南駅長町一丁目駅がある。長町南駅の近傍に太白区役所がある。

歴史編集

江戸時代編集

関ヶ原の戦いで世の大勢が決した後、徳川家康は徳川家による統治をより強固なものとするために、日本各地の街道と宿駅制度の拡充を求めた。これを受けて、仙台藩領内でも街道と宿場の整備が行われた。五街道の一つである奥州街道では段階的に宿場が整備、建設され、1612年に平岡村と根岸村に跨る形で一つの宿場町が設置された。これが長町宿である。長町宿は仙台城下から数えて一つ目の宿場だった。長町宿の設営には仙台城の普請奉行だった金森隠岐ならびに津田豊前景康が携わり、街道沿いに86軒の町屋敷が作られた。奥州街道の他に、長町宿から西へ延びる二つの街道もあり、総じて長町宿の伝馬役の負担は大きなもので、それに耐えかねて潰れる家もあったという。1623年に記された連署申上状に、長町宿は今や35軒で伝馬役を負担している、という訴えが残っている[1]

江戸時代の長町は、仙台城やその城下町で使われる木材の集積地の一つでもあった。それらの木材は、広瀬川の支流である大倉川および新川川周囲の藩有林、また名取川上流周辺の藩有林から切り出されたもので、川の流れを利用して下流へと流された。広瀬川に流された木材は角五郎木場に、名取川に流されたものは長町木場に集められ、そこから城下へ流通して、薪などに使われた。長町木場では毎年45万本から60万本の流木(ながしぎ)が取り扱われたという[2]

1868年戊辰戦争が起こると、仙台藩は主要街道警備のために、原町、七北田、半子町、茶屋町と共に、長町にも警衛の兵を置き、新政府軍に備えた[3]

明治・大正・昭和初期編集

1874年明治7年)に根岸村と平岡村が合併し、長町村が成立する。1878年(明治11年)10月21日に名取郡が発足し、郡役所が長町村に設置された。

1888年(明治21年)に市制町村制が公布され、翌1889年(明治22年)4月1日の町村制の施行により、長町村と郡山村が合併、同時に仙台区の一部だった宮沢を編入し、茂ヶ崎村(もがさきむら)として発足した。茂ヶ崎は長町から北西方向にある大年寺山の別称であり[4]、茂ヶ崎の地名は現在も残っている。

1887年日本鉄道が現在の東北本線塩竈まで開通させたが、この当時は長町に駅は置かれなかった。1894年日清戦争が起こると、仙台にあった陸軍第2師団が軍用の停車場を長町に設置させ、兵員がここから万歳の歓呼のもと戦地へ向けて出征した。1896年に一般駅として長町駅が開業する。1904年日露戦争が勃発すると、再び長町駅から兵員が送り出された[5]

1892年、長町に青果市場が設置された。この頃、仙台の周辺で収穫された農産物や水産物は、長町、河原町、原町、堤町、北山、八幡町のいずれかを経由し、そこから小売商人によって仙台市内に流通した。その他に、長町には米穀店や薪炭店が多く集まっていた[6]。後の1923年に中央卸売市場法が成立すると、長町市場はこれの認可を受けることができなかったものの、産業組合法をもって青果市場の機能を維持した[7]

鉄道駅と市場の設置によって、茂ヶ崎村は交通と物流の要衝として発達した[8]

1915年大正4年)2月1日に茂ヶ崎村は町制施行・改称し長町となり[4]1928年昭和3年)4月1日に宮城郡原町と共に仙台市に編入された。この時点での長町の人口は約1万人で、町制施行・改称当時から約5割増えていた[8]。仙台市が長町と原町を編入合併する構想は1918年(大正7年)からあり、また長町の住人も合併を望んでいた。しかし、当時は郡制が施行されていて、長町には名取郡の郡役所が、原町には宮城郡の郡役所が存在した。名取郡役所の立場として、郡の中心である長町と仙台市との合併は認めがたく、長町編入の構想は進まなかった。原町も同様である。郡制は1923年(大正12年)に廃止され、郡役所の監督がなくなった。これによって合併の交渉が進んだのだった[9]

この間、1914年に長町と秋保を結ぶ秋保軌道が開通し[10]1925年には国鉄長町駅に貨車操車場が設置された[8]。また、1936年には路面電車である仙台市電の長町線が開通し、長町はその終着点となった[11]

太平洋戦争中の1945年7月10日の仙台空襲では、長町はアメリカ軍の爆撃目標の中心点から遠かったが被災した[12]

昭和中期から平成編集

大正時代に設置された長町駅の貨車操車場はその後も段階的に拡張が行われていたが、1950年からこれの大規模な改良が行われた。この改良工事は1955年に完成し、長町駅は1日に2400両の貨車を取り扱える規模の操車場となった。1959年の繁忙期に1日で2963両を取り扱ったという記録が残っている[13]。一方、業績の低迷と設備の老朽化から、秋保電気鉄道が1961年に廃止された[14]

1960年、宮城野原旧練兵場跡に仙台中央卸売市場が開設された。これの青果部門は、青物卸売業者の収容折衝に紆余曲折があり、1961年に業務を開始した。長町市場は2年間の期限付きで仙台中央卸売市場の分場として残され、1963年に閉鎖された[15]

1976年モータリゼーションの発達に伴う交通渋滞や収支赤字の問題から、長町線を含めて仙台市電全線が廃止された[16]。また、この頃になると、社会情勢の変化から日本の鉄道貨物の輸送量は減少傾向にあった。1984年のダイヤ改正で、国鉄は操車場での貨車中継方式を完全に廃止し、コンテナ列車を主体とする直行輸送へ舵を切った。これによって長町操車場もその機能を停止し[17]、機関車の車両基地である長町機関区が残った。長町機関区も後に移転し、長町操車場跡地はあすと長町として再開発されることになる。

1987年仙台市地下鉄南北線が開通し[18]、東北本線と接続する長町駅の他に、長町南駅と長町一丁目駅が設けられた。長町南駅周辺はもともと水田地帯だったが、地下鉄開業を見越して1980年代から宅地開発が行われ、また1989年の仙台市の政令指定都市移行に先立ち、区役所の建設が行われた。1990年代になるとショッピングモールであるザ・モール仙台長町が近傍に進出した[19]

この当時、石井亨が仙台市長を務めていた。石井は機能分散型の都市構造を模索し、仙台市の東西南北にそれぞれの副都心構想を描いた。北は泉中央副都心、西は愛子副都心、東は東部副都心、南は長町副都心が設定され、それぞれを再開発し、商業、生活、文化施設を計画的に設置して、土地利用の高度化を図ろうとした[20]

行政編集

  • 歴代茂ヶ崎村長
氏名 就任 退任 備考
1 大竹左右助 明治22年(1889年)4月1日
2 小倉義助 明治22年(1889年)12月6日
3 児玉実行 明治31年(1898年)8月15日
4 熊田権五郎 明治33年(1900年)2月17日
5 横浜慶昌 明治37年(1904年)8月
6 高橋十平 明治37年(1904年)12月29日
7 下田政 明治39年(1906年)8月25日
8 斎藤順三郎 明治43年(1910年)9月28日 大正4年(1915年)1月31日
  • 歴代長町町長
氏名 就任 退任 備考
1 斎藤順三郎 大正4年(1915年)2月1日 村長より留任
2 佐藤運七郎 大正9年(1920年)4月2日
3 鳥海彦太郎 大正10年(1921年)2月17日 昭和3年(1928年)3月31日

脚注編集

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  1. ^ 『仙台市史』通史編3(近世1)308ー309頁。
  2. ^ 『仙台市史』通史編4(近世2)433頁。
  3. ^ 『仙台市史』通史編5(近世3)505頁。
  4. ^ a b 『仙台市史』通史編6(近代1)216-220頁。
  5. ^ 『仙台市史』通史編6(近代1)282頁。
  6. ^ 『仙台市史』通史編6(近代1)246-247頁。
  7. ^ 『仙台市史』通史編7(近代2)117頁。
  8. ^ a b c 『仙台市史』通史編7(近代2)291頁。
  9. ^ 『仙台市史』通史編7(近代2)25-26頁。
  10. ^ 『仙台市史』通史編7(近代2)320頁。
  11. ^ 『仙台市史』通史編7(近代2)317頁。
  12. ^ 『仙台市史』通史編7(近代2)514頁。
  13. ^ 『仙台市史』通史編8(現代1)514頁。
  14. ^ 『仙台市史』通史編8(現代1)224-225頁。
  15. ^ 『仙台市史』通史編8(現代1)205-206頁。
  16. ^ 『仙台市史』通史編9(現代2)186-188頁。
  17. ^ 『仙台市史』通史編9(現代2)252頁。
  18. ^ 『仙台市史』通史編9(現代2)193-197頁。
  19. ^ 『仙台市史』通史編9(現代2)139頁。
  20. ^ 『仙台市史』通史編9(現代2)129-131頁。

参考文献編集

  • 仙台市史編さん委員会 『仙台市史』通史編3(近世1) 仙台市、2001年。
  • 仙台市史編さん委員会 『仙台市史』通史編4(近世2) 仙台市、2003年。
  • 仙台市史編さん委員会 『仙台市史』通史編5(近世3) 仙台市、2004年。
  • 仙台市史編さん委員会 『仙台市史』通史編6(近代1) 仙台市、2008年。
  • 仙台市史編さん委員会 『仙台市史』通史編7(近代2) 仙台市、2009年。
  • 仙台市史編さん委員会 『仙台市史』通史編8(現代1) 仙台市、2011年。
  • 仙台市史編さん委員会 『仙台市史』通史編9(現代2) 仙台市、2013年。
  • 平成『仙台市史』資料編8〔近代現代4〕別冊資料(宮城県仙台市、2006)

関連項目編集