東北本線
東北本線(とうほくほんせん)は、東京都千代田区の東京駅から岩手県盛岡市の盛岡駅を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。
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基本情報 | |||
通称 |
路線愛称・通称 東北線(東京駅 - 盛岡駅間) 宇都宮線(東京駅 - 尾久駅 - 黒磯駅間の列車線) 京浜東北線(東京駅 - 大宮駅間の電車線) 埼京線(赤羽駅 - 武蔵浦和駅 - 大宮駅間) 宮城野貨物線(長町駅 - 仙台貨物ターミナル駅 - 東仙台駅間) 利府線(岩切駅 - 利府駅間) 仙石線・東北本線接続線(松島駅 - 高城町駅間) 路線系統名[† 1] 上野東京ライン(宇都宮線の東海道線直通列車[† 2]) 湘南新宿ライン(宇都宮線の横須賀線直通列車) 仙台空港アクセス線(名取駅 - 仙台駅間の仙台空港鉄道直通列車) 仙石東北ライン(仙台駅 - 塩釜駅間の仙石線直通列車) | ||
国 |
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所在地 | 東京都、埼玉県、茨城県、栃木県、福島県、宮城県、岩手県 | ||
種類 | 普通鉄道(在来線・幹線) | ||
起点 | 東京駅 | ||
終点 | 盛岡駅 | ||
駅数 | 150駅(支線、貨物駅含む) | ||
電報略号 | トホホセ | ||
路線記号 |
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開業 | 1883年7月28日 | ||
全通 | 1891年9月1日 | ||
所有者 | 東日本旅客鉄道(JR東日本) | ||
運営者 |
東日本旅客鉄道(全線) 日本貨物鉄道(田端信号場駅 - 盛岡間・長町駅 - 東仙台駅間) | ||
使用車両 | 使用車両を参照 | ||
路線諸元 | |||
路線距離 |
535.3 km(東京駅 - 盛岡駅間) 7.6 km(日暮里駅 - 尾久駅 - 赤羽駅間) 18.0 km(赤羽駅 - 武蔵浦和駅 - 大宮駅間) 6.6 km(長町駅 - 仙台貨物ターミナル駅 - 東仙台駅間) 4.2 km(岩切駅 - 利府駅間) 0.3 km(松島駅 - 高城町駅間) | ||
軌間 | 1,067 mm | ||
線路数 | 複々線以上(東京駅 - 大宮駅間ほか)、複線(大宮駅 - 盛岡駅間ほか)、単線(支線):詳細は本文の路線データ節を参照 | ||
電化区間 | 全線 | ||
電化方式 |
直流1,500 V(東京駅 - 黒磯間) 交流20,000 V 50Hz(黒磯駅 - 盛岡駅間) いずれも架空電車線方式 | ||
閉塞方式 | 路線データ参照 | ||
保安装置 | 路線データ参照 | ||
最高速度 | 120 km/h(東京駅 - 盛岡駅間。優等列車) | ||
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本線(首都圏では日暮里駅 - 上中里駅 - 赤羽駅 - 浦和駅 - 大宮駅間[† 3]、仙台地区では長町駅 - 仙台駅 - 東仙台駅間を経由)のほか、日暮里駅 - 尾久駅 - 赤羽駅間[† 4]、赤羽駅 - 武蔵浦和駅 - 大宮駅間(埼京線の一部)、長町駅 - 東仙台駅間(通称:宮城野貨物線)、岩切駅 - 利府駅間(通称:利府線)の支線を持ち、これらの正式な線路名称は東北本線である[1]。なお、2015年に開業した松島駅 - 仙石線高城町駅間の連絡線(仙石線・東北本線接続線)も同様に東北本線の一部区間として扱われている[2]。
広義では、東北新幹線も東北本線に含める場合がある[1][† 5]が、本項目では在来線としての東北本線について記す。新幹線については「東北新幹線」などの新幹線路線記事を、また在来線の地域ごとの詳細及び東北新幹線の八戸および新青森延伸に伴って第三セクター鉄道に移管された盛岡駅以北については以下の記事も参照。
概要編集
東北本線は、もともと日本鉄道が建設した路線で、上野駅から青森駅までの線路と、上野駅と秋葉原駅間を短絡する貨物線の線路からなる、日本最長の営業キロを持つ路線であった。東京と青森の間を、大宮・宇都宮・郡山・福島・仙台・一関・盛岡・八戸を経由して、関東地方内陸部と東北地方内陸部を縦断して結んでいた。これはのちに開業する東北新幹線設置駅とも同様であり、ほぼ並走している。途中の沿岸区間は、岩沼 - 松島と八戸以北である。
1891年(明治24年)に全線開通、その後1925年(大正14年)の山手線環状運転開始時に敷設された東京駅 - 秋葉原駅間の電車線も東北本線に組み込まれ、営業キロが739.2km と日本最長の路線となった。第二次世界大戦終結後の高度経済成長期には長距離の特急・急行列車が大幅増発されたが、1982年(昭和57年)に東北新幹線の大宮駅 - 盛岡駅間が開業すると、長距離列車は新幹線経由での運行に移行し、並行する東北本線在来線列車は中距離列車に置き換えられた。東北本線の旅客輸送は地域輸送中心の体制に移行しており、全線を走行する定期旅客列車は存在せず、栗橋駅 - 岩沼駅間、仙台駅 - 盛岡駅間には特急列車は運行されていない。2002年(平成14年)12月1日には同新幹線の盛岡駅 - 八戸駅間が開業、2010年(平成22年)12月4日には八戸駅 - 新青森駅間も開業し、その区間で並行する東北本線在来線はJR東日本から第三セクター会社(盛岡駅 - 目時駅間はIGRいわて銀河鉄道、目時駅 - 青森駅間は青い森鉄道)に経営が移管された。この結果、東北本線在来線は東京駅 - 盛岡駅間の全長535.3km(支線含まず)の路線となり、山陰本線・東海道本線に次ぐ在来線で3番目に長い路線となった。
東北本線には旅客列車のほか、首都圏と沿線各地や北海道を結ぶJR貨物の貨物列車も多数運行されており、隅田川駅 - 札幌貨物ターミナル駅間は「北の大動脈」とも比喩されている[4]。多くの貨物列車が東海道本線を経て東海道・山陽・九州方面と、IGRいわて銀河鉄道線・青い森鉄道線・海峡線を経て北海道方面と直通している。
電化方式は栃木県の黒磯駅を境に、同駅以南では直流電化 (1500 V)、以北では交流電化 (20 kV・50 Hz) となっており、普通列車は黒磯駅以南では直流電車、黒磯駅 - 白河駅間では交直流電車、新白河駅以北では交流電車がそれぞれ使用されている(使用車両節参照)。黒磯駅を越えて運転される在来線旅客列車は、臨時列車のみで、定期旅客列車は存在しない。
東北本線の線路名称上の起点は1925年以来東京駅であり、同駅は1991年以来東北新幹線の起点ともなっているが、旅客案内上や時刻表などで「東北本線」と呼ばれている中・長距離旅客列車は1960年代以前の一部の東海道線(東海道本線)直通列車を除いて長年にわたり、東京都台東区の上野駅を起点として運行されていた(後節を参照)。また1968年9月30日まで大宮駅 - 赤羽駅間は国電(京浜東北線)と列車が同じ線路を共用していたが、翌10月1日に電車線と列車線に分離が行われ現在の別系統での運転が完成した。東京駅 - 上野駅間の列車線は東北新幹線東京駅延伸による用地確保のため1973年に廃止され、それ以降は電車線を走行する東京近郊の近距離電車(運転系統としての中央線・山手線・京浜東北線)のみとなっていた[1] が、廃止から42年後の2015年より同区間の列車線が再び敷設され上野東京ラインとして東海道線との相互直通運転が再開された。
線路名称と愛称、路線系統名称編集
現在「東北本線」と呼ばれる線路は、日本鉄道の時代は「奥州線」と呼ばれたり[5][6]、地図上では「東北鉄道」などの記載も見られたりしたが[5][7]、同社の定款では「第一区」から「第五区」[8]、国有化直前時点の定款では仙台駅を境に「本線南区」・「本線北区」と称していた。国有化後の1909年(明治42年)10月12日には国有鉄道線路名称(明治42年鉄道院告示第54号)により、当線は主な経由地(福島県・宮城県・岩手県・青森県)の地方名として定着していた「東北」を冠し「東北線の部 東北本線」となった[9]。この時「東北線の部」に属していた路線は東北本線、山手線、常磐線、隅田川線、高崎線、両毛線、水戸線、日光線、岩越線、塩釜線、八ノ戸線の11路線であり、東北本線はこの中の「本線」とされ「東北線の部」の幹線であった[9][10]。主要経由地の4県は明治以前の令制国では陸奥国(奥州)の地域であったが、戊辰戦争の戦後処理の一環で明治政府が出羽国(羽州)と共に1868年(明治元年)に分割(「陸奥国 (1869-)」参照)、これに伴い民権派が薩長土肥を『西南』と呼んだのに対し、旧奥羽両国を指す新名称として明治10年代から使用し、当線の改称時には一般化していた「東北」が採用された[9]。
現在の東北本線では、当路線内運行の列車のほか、当線経由で他線各地に向かう列車も運行されている(地域輸送を参照)。こと東京駅 - 大宮駅間ではかつての国電である近距離電車(山手線・京浜東北線・埼京線)がそれぞれ専用の線路で運行されており、旅客案内上では「東北本線」や「東北線」ではなくこれらの系統名称が使用されている。上野駅を発着する黒磯駅までの中距離列車に対してはかつて「東北線」と呼ばれていたが、国鉄分割民営化後の1990年(平成2年)3月10日に宇都宮線という愛称が与えられた(命名経緯については「宇都宮線#「宇都宮線」の愛称制定後」を参照)[11][12]。また、山手線池袋駅や新宿駅を発着する中距離列車も運行されるようになり、これらは2001年(平成13年)に東海道本線・横須賀線への直通運転へと発展し湘南新宿ラインという愛称が与えられた。このほか中央本線(中央線)・常磐線(常磐線快速)・高崎線や武蔵野線の列車も当路線に乗り入れており[† 6]、東京駅 - 上野駅間を経由して東海道線と宇都宮線・高崎線・常磐線を直通する系統は上野東京ラインと呼ばれている。
東北本線の起点編集
東北本線の線区上の起点は1925年(大正14年)以来東京駅であるが、1885年(明治18年)の開業以来1925年まで、東北本線在来線列車の始発駅は上野駅となっていた。貨物運輸のため上野駅 - 秋葉原駅間には貨物線が敷かれていたが、この区間はもともと江戸の下町に当たり線路敷設が避けられていたこともあって、はじめて旅客列車が発着するようになるのは1925年に山手線が現在のような環状運転を行うために電車線を敷設・開業してからのことで、それまでは山手線も上野駅を始発・終着駅として運転されていた。なお、4年後の1928年(昭和3年)には現在の宇都宮線にあたる東北本線の列車線が東京駅 - 上野駅間に複線で開業しており、路線としては名実ともに東京駅を起点とする形となった。戦後は東京駅 - 上野駅間列車線の単線化・回送線化や1973年(昭和48年)の列車線分断による東海道本線への直通列車の廃止などがあり東北本線列車線の列車は基本的に上野駅発着となる。以降、上野駅は北のターミナルとして、東北・信越地方や関東北部へ向かう列車の始発・終着駅としての歴史を刻み、現在も首都圏中距離電車のほか、常磐特急「ひたち」・「ときわ」などが上野駅ホームを発着している。
第二次世界大戦終結後の1946年(昭和21年)11月5日、GHQが東北本線方面に向かう占領軍専用列車を横浜駅発着で走らせて以来、東北新幹線東京駅乗り入れ工事が着手される1973年までは、上野駅発着の優等列車および朝夕の中距離列車の一部が東京駅や新橋駅、さらには神奈川県、静岡県方面から東海道本線経由で直通運転されたが、東北新幹線建設の際に東京駅 - 秋葉原駅間の列車線施設が新幹線用地とされ、以来電車線(山手線・京浜東北線の線路)のみが東京駅に繋がり、中・長距離定期列車はすべて元の上野駅(あるいは池袋駅・新宿駅)を始発・終着駅とするようになった[13][14]。また、新幹線に流用されなかった秋葉原駅 - 上野駅間の線路は留置線・回送線として使われるようになった。
その後、東北本線中距離列車の運行区間を東京駅、品川駅方面へ延伸し、東海道本線と相互直通運転する計画が企画され[15]、2015年(平成27年)3月14日から「上野東京ライン」として、列車線も、東北本線本来の起点である東京駅を経由して運転されている[報道 1]。
なお、当線の戸籍上の終点は盛岡だが、JRより経営分離された盛岡以北のいわて銀河鉄道線 (IGR) および青い森鉄道線内キロポストは従前のまま東京起点からの通算表示となっている(盛岡駅構内にIGR線用の、目時駅構内に青い森鉄道線用の各0キロポストは設置されていない)。
路線データ編集
- 管轄・路線距離(営業キロ): 全長572.0km(支線含む)
- 軌間:1067mm
- 駅数:
- 複線区間:
- 電化区間:松島駅 - 高城町駅間を除く全線
- 閉塞方式
- 東京駅 - 田端駅 - 大宮駅間の電車線(山手線・京浜東北線)
- 列車間の間隔を確保する装置(鉄道に関する技術上の基準を定める省令の解釈基準第54条第2項第2号に規定される、一段ブレーキ制御方式の自動列車制御装置)による方法[† 7]
- 赤羽駅 - 武蔵浦和駅 - 大宮駅間(埼京線)
- 列車間の間隔を確保する装置(鉄道に関する技術上の基準を定める省令の解釈基準第54条第2項第3号に規定される、車上設備により列車の位置に応じた列車の運転速度を指示する制御情報を発生させる方式の自動列車制御装置)による方法[† 8]
- 利府支線:特殊自動閉塞式(軌道回路検知式)
- 上記以外:自動閉塞式
- 東京駅 - 田端駅 - 大宮駅間の電車線(山手線・京浜東北線)
- 保安装置[17]
- 最高速度(電車または気動車):
- 東京駅 - 宇都宮駅間 優等列車120km/h、普通列車110km/h
- 宇都宮駅 - 一ノ関駅間 優等列車120km/h、普通列車100km/h
- 一ノ関駅 - 盛岡駅間 優等列車120km/h、普通列車110km/h
- 田端信号場駅 - 赤羽駅間(東北貨物線) 95km/h
- 赤羽駅 - 大宮駅間(東北貨物線) 120km/h
- 長町駅 - 仙台貨物ターミナル駅 - 東仙台駅間(宮城野貨物線) 100km/h
- 岩切駅 - 利府駅間(利府支線) 95km/h
- 運転指令所:
- 旅客運賃・乗車券関連
JR東日本の各支社の管轄区間は以下のようになっている。
沿線概況編集
停車場・施設・接続路線 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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東北本線の沿線には、東京都台東区から埼玉県久喜市にかけての区間及び宮城県仙台市から栗原市にかけての区間を除く、ほぼ全ての区間にわたり国道4号が並行している。なお、東京都台東区から埼玉県川口市にかけては東京都道・埼玉県道58号台東川口線・東京都道306号王子千住夢の島線・国道122号、川口市からさいたま市にかけては埼玉県道35号川口上尾線・国道17号・国道463号・埼玉県道65号さいたま幸手線・埼玉県道164号鴻巣桶川さいたま線、さいたま市から久喜市にかけては埼玉県道3号さいたま栗橋線・国道125号が、また宮城県仙台市から栗原市にかけては国道45号・宮城県道8号仙台松島線・宮城県道35号泉塩釜線・国道346号・宮城県道19号鹿島台高清水線・宮城県道15号古川登米線・宮城県道29号河南築館線・宮城県道1号古川佐沼線・宮城県道36号築館登米線・国道398号・宮城県道・岩手県道183号若柳花泉線・国道342号・岩手県道・宮城県道187号大門有壁線が東北本線と並行している。
東京駅 - 黒磯駅間編集
黒磯駅 - 新白河駅間編集
黒磯駅を出ると列車はすぐにデッドセクションを通過し、直流電化区間から交流電化区間に入る。その後那珂川を橋梁で通過し那須高原に入って行き、黒田原駅 - 豊原駅 - 白河駅にかけて、列車は関東地方の北の尾根で栃木県と福島県の県境となる那須・八溝の山間を抜けて行く。この付近は東北本線で最も標高の高い地域(標高約400m)である。余笹川の鉄橋を渡ると那須町役場のある黒田原駅となる。この駅は同じ町内の全国的観光地「那須高原」の喧騒さとは異なる、静かなたたずまいの小さな駅である。
豊原駅と白坂駅の間の県境を流れる川である黒川をまたぐ鉄橋は鉄道ファンの絶好の撮影地となっている。白坂からは東北地方・福島県に入る。白河地域は福島県中通り地方の最南端であるが、この標高のため中通り地方で一番春の訪れの遅い場所でもある。中通り地方の桜前線は県北の福島市より始まり白河市に向かって南下して行く。新白河駅はもともと磐城西郷駅と称していたが、東北新幹線の停車駅となるのに伴い名称も新白河駅へと改称した。所在地は白河市ではなく西白河郡西郷村である。
新白河駅 - 郡山駅間編集
列車は新白河駅を経て白河駅へと到着する。新白河駅の東隣となる白河は古くは令制国時代に念珠ヶ関(ねずがせき)・勿来の関(なこそのせき)と共に、蝦夷(えみし)の侵入に備えた北方防衛の砦奥州三関の一つに数えられた白河の関が設けられた土地として知られ、古代街道の東山道にあって江戸時代には宿場町かつ城下町である。奥州街道の道中奉行管轄の終点と、延長部の起点との境となっており、現在も東北地方の玄関口に立地している。
列車はこの先、福島市の先まで丘陵地を縫うように進み標高を下げていく。沿線の平地には長閑な水田が広がり、国内第4位の米産出高を有する福島県(平成18年度農業センサス)の特徴的な風景が見られる。鏡石には文部省唱歌『牧場の朝』のモデルとなった岩瀬牧場があり、鏡石駅のホームには牧場の朝の歌詞を載せたパネルが展示されている。須賀川市に入ると徐々に住宅街が現れ、須賀川駅を通過すると再び水田と樹林の広がる郊外に入る。水郡線が右手より合流する安積永盛駅を通過すると左手に大きなイベントホールビッグパレットふくしまが現われ、都市部が目立ち始めると東北新幹線と接続し磐越西線、磐越東線、水郡線が発着する郡山駅に到着する。郡山市は明治以前は小さな宿場がある寒村に過ぎなかったが、明治初期の安積疏水の開削により現在では日本有数の米の生産地となり、何より県の中心に存在することから相次いで鉄路、道路、高速交通網の整備がなされ、南東北の一大交通拠点都市として発展した。
画面中央左右の直線が鏡石町の東北本線
須賀川市街を通過する東北本線
白河市郊外を通過する東北本線。(2007年1月)
解説付き画像ビッグパレットふくしま。東北本線と国道4号の間に立地する。(2007年3月)
郡山駅 - 福島駅間編集
郡山駅を出ると列車は安積原野の起伏の有る丘陵の中を進み五百川の橋梁を渡る直前左手には郡山北部工業団地、右手に福島県農業総合センターの広大な敷地が、橋梁から五百川駅の手前では左側にビール醸造の巨大な銀色のタンク群が目に飛び込んでくると間も無く本宮駅となる。東北本線の車窓からよく目にした「酒は大七」の巨大文字看板の醸造元や「奥の松」で知られる二本松駅まで来ると高村光太郎の「智恵子抄」に詠われた安達太良山(活火山)が左手に迫る。
列車はこの後鬼婆(おにばば)伝説で有名な安達ヶ原、松川駅などを通過し福島盆地を眼下に見下ろしながら盆地底まで急勾配を下って福島駅に到着する。当駅から左手に見える山は同じく活火山の吾妻山。吾妻連峰の雪うさぎは春の田植えシーズンの到来を知らせてくれる。その麓の扇状地は桃など果物の産地として知られる。また、これらの活火山のため郡山から福島にかけては磐梯熱海温泉、岳温泉、高湯温泉、飯坂温泉ほか、有名な温泉が多い地域でもある。
安積原野を進む東北線
奥は安達太良山
福島駅 - 仙台駅間編集
福島駅を出ると、山形新幹線、福島交通飯坂線が左に折れ、東北新幹線は信夫山トンネルを通過する。東福島駅手前の矢野目信号場で阿武隈川沿いの経路を進む阿武隈急行線が東折する。列車はこの後霊山(りょうぜん)の岩山を右手に見ながら盆地底の標高約50m付近から県境の標高約200mの貝田駅付近の峠まで上り勾配を進む。この地域はかつて生糸に代表される繊維産業が盛んな地域であり、眼下に信達平野を望みながら時折のどかな田園風景の中に桑畑を目にすることができる。
峠を越えると宮城県に入り、蔵王連峰を西に見ながら白石駅に到着する。この先大河原駅 - 船岡駅間では白石川と併走するが、このあたりの桜並木は「一目千本桜」と呼ばれ、観光名所であると共に有数の撮影スポットでもある(花見時期には列車の徐行も行われる)。槻木駅で再び阿武隈急行線と合流し、阿武隈川と共に高館丘陵と亘理地塁山地の間を抜けて仙台平野に出る。岩沼駅では右手より常磐線が合流。浜堤に沿って愛島丘陵東端を迂回し、名取駅に入ると仙台空港アクセス線が合流する。仙台市に入り、名取川を渡ると長町副都心、広瀬川を渡ると仙台市都心部に入ってビルが立ち並ぶ風景が見えてくる。両河川を渡る際には、左手の大年寺山にある複数のテレビ塔がライトアップされているのが視野に入り、日没後であっても仙台駅がもう近いことが分かる。
仙台駅 - 一ノ関駅間編集
仙台駅を出ると宮城野橋(X橋)周辺の高いビル群が見える。七北田丘陵東端をかすめて七北田川を渡るとすぐ岩切駅で利府支線が左手に分岐し、東北新幹線との並走区間も終わる。陸前山王駅で仙台臨海鉄道・臨海本線が右手に分岐すると、陸奥国府・多賀城南大門前にあった条坊制都市の遺跡の上を突っ切り、松島丘陵に入る。ここから塩釜駅 - 松島駅間で仙石線とからまるように並走し、一瞬だけ海や日本三景の松島が見える。この区間で仙石線・東北本線接続線が右手に分岐する。松島丘陵を抜けると品井沼干拓地を通り、大松沢丘陵東端を越えて大崎平野に入る。左手に陸羽東線、右手に石巻線が分岐する小牛田駅を過ぎ、篦岳丘陵西端をかすめて北上すると築館丘陵の東端に入り、長沼とラムサール条約に登録されている伊豆沼・内沼の間を抜け、左手に栗駒山が見える栗原平野に入る。更に進むと石越駅へ。朝夕には仙台方面からの列車が当駅まで運行されている拠点駅であると共に、2007年3月までくりはら田園鉄道線の起点駅でもあった。栗原電鉄時代には、直流電化の電鉄線と東北本線との貨物交換用に、特注のディーゼル機関車が留置されており、連絡線も敷設されていた。
石越駅を過ぎると、宮城県と岩手県とを分ける丘陵地帯に入り、両県を行ったり来たりすることになる。岩手県の油島駅・花泉駅および清水原駅を過ぎて再び宮城県に戻ると、仙台を出てから旧・奥州街道の道筋と大きく離れていた当線は、宮城県栗原市に位置する有壁駅で再び旧・奥州街道(および東北新幹線)と並走し始める。岩手県に戻ると間もなく北上盆地に入り、同県南部の中心都市である一関市の一ノ関駅に到着。同駅は仙台駅以来の新幹線駅併設駅であり、大船渡線への乗り換えや、厳美渓、須川高原温泉、奥州三十三観音霊場などの名所へ向かう利用客で賑わう。
一ノ関駅 - 盛岡駅間編集
一ノ関駅を出ると、北上川西岸を延々と北上するルートとなる。次の平泉駅では奥州藤原氏の威光を伝える世界遺産・平泉への観光客が乗り降りする。その後、胆沢扇状地の扇端をなぞるように北上し、途中で奥州市の中心市街地にある水沢駅へ到着する。田園地帯を走り胆沢川を越えると、六原扇状地をなぞるように金ケ崎町を北上。旧仙台藩と旧盛岡藩との旧・藩境を越えて新幹線駅併設の北上駅に入る。北上駅を出るとすぐ秋田県・横手盆地へと向かう北上線が左手に分岐する。同駅周辺からは線形が直線の区間が多くなる。さらに北上して花巻駅に着くと、花巻温泉郷や宮沢賢治縁りの地に向かう観光客で賑わう。花巻市には同駅のほかに、釜石線と東北新幹線が交差する新花巻駅、岩手県唯一の空港・花巻空港に最寄りの花巻空港駅や似内駅がある。紫波中央駅付近から東北新幹線と並走するようになり、岩手山が左手に見えてくると盛岡駅に到着。同駅で田沢湖線(秋田新幹線)や三陸海岸方面へ延びる山田線が分岐する。
運行形態編集
現在、長距離都市間輸送およびビジネス輸送の多くを東北新幹線が担っている[† 9]。宇都宮線区間は東京への通勤路線および大宮・宇都宮の各都市圏路線として、その他の区間も郡山・福島・仙台・盛岡などの地域の中心都市の生活路線として運行体系が組まれており、寝台特急列車が臨時含め廃止された2016年以降、遠隔都市間を結ぶ在来線列車は臨時列車と貨物列車のみとなっている。
東京駅から黒磯駅までは直流、高久駅以北はすべて交流でそれぞれ電化されており、黒磯駅と高久駅の間にデッドセクションが設けられている[18]。当該デッドセクションを挟み、直流電化区間と交流電化区間を直通する列車は、貨物列車のほか、旅客列車が臨時列車と黒磯駅 - 新白河駅・白河駅間において交直流電車で運行されている普通列車のみで、交流電化区間から宇都宮線区間である黒磯駅以南の直流電化区間への普通列車の乗り入れは行われていない。
電化前の最盛期には黒磯駅を跨ぐ直通普通列車が毎日15往復設定されていた(優等客車を連結した普通列車・夜行普通列車含む)が、1959年の黒磯駅以南の直流電化・同駅以北の交流電化後は毎日8往復へと減便され、代わって1965年・1968年には当時最新鋭の特急・急行用電車(483系・455系・485系・583系)が相次いで投入され、長距離特急・急行列車が増便された。それでもなお客車による普通列車の運用が残されていた時代には朝昼中心に毎日数本は直通普通列車(いずれも客車普通列車)が設定されていたが、1978年10月2日のダイヤ改正で特急・急行列車が大幅増便されたことに伴って、上野駅 - 黒磯駅間での客車普通列車の運行が消滅し、黒磯駅を跨いだ普通列車は、急行「なすの」の間合い運用の宇都宮駅 - 白河駅間の列車だけとなり、その後完全に消滅した。その後、1982年6月23日には東北新幹線が開業し、東北本線在来線を走る特急・急行列車は徐々に新幹線経由での運行に切り替えられ、空いた在来線には中距離普通列車が増発された。
現在、旅客が黒磯駅を跨いで普通列車を利用する場合は、同駅において同駅以南で運行される直流電車と同駅以北で運行される交直流電車との相互乗り換えが必要となっているが、普通列車の本数および所要時間に関しては、客車時代に比べて利便性が高くなっている。電化後も含め、客車による長距離普通列車が運行されていた時代の上野 - 仙台間の所要時間は9時間30分から10時間30分程度かかっていたが、2015年には途中駅で乗り換えが必要ではあるものの、同区間の所要時間は概ね6時間15分から40分程度、遅くても7時間30分以内に短縮された。しかし黒磯駅構内直流化に先立って行われた2017年10月の改正後は所要時間が増加した乗り継ぎ例もある[† 10]。
優等列車編集
東北新幹線が開業した1982年以前は、東北本線在来線が東京対東北・北海道へのメインルートであったことや、沿線諸都市連絡のために多くの長距離優等列車が運行されていた。新幹線の部分開業後は、並行区間の長距離列車が新幹線経由での運行中心となり、当線を経由して会津若松や山形などの各都市へ向かっていた列車は一部が新幹線直行特急へと発展を遂げたのを除いて、郡山駅などの各新幹線停車駅から乗り継ぎを行なう運行形態へと変更になったが、新幹線の終点から青森・北海道方面への連絡特急列車は残されていた。やがて東北新幹線の全線開業により、盛岡駅以北がすべてJR東日本から経営分離されると、在来線経由で運行されている優等列車は当線経由で他路線沿線を目的地とする列車のみとなり、現在に至っている。
首都圏と北海道を結ぶ夜行列車は2016年3月の北海道新幹線の開業により全廃された。なお、前述のように経営分離された盛岡駅 - 青森駅間はIGRいわて銀河鉄道と青い森鉄道の路線を走行するため、この区間を経由する場合の運賃・特急料金には両社の運賃と両社線内の特急料金が加算されるが、2016年3月改正時点では該当する定期旅客列車はない。
以下に東北本線で運行されている列車を挙げる。強調した区間が東北本線内を表す。東京駅 - 大宮駅間に乗り入れる高崎線直通列車については「高崎線」を、東京駅 - 日暮里駅間に乗り入れる常磐線の列車については「常磐線」を、過去の列車については「東北本線優等列車沿革」の各記事を参照。
- 特急「日光」「きぬがわ」「スペーシアきぬがわ」 : 新宿駅 - 田端駅(通過) - 大宮駅 - 栗橋駅(通過) - 東武日光駅間
- 特急「ひたち」:品川駅 - 東京駅 - 上野駅 - 日暮里駅(通過) - いわき駅 - 岩沼駅(一部停車) - 仙台駅間
地域輸送編集
東北本線の普通・快速列車は、主に宇都宮駅・黒磯駅・新白河駅・郡山駅・福島駅・仙台駅・小牛田駅・一ノ関駅でそれぞれ運行系統が分かれており、各区間内の需要に応じた区間列車が運転されている。このうち黒磯駅と一ノ関駅は、その前後にまたがって運行される定期列車が2022年3月現在ない。
東京地区の電車特定区間編集
前述のように、東京近郊では多数の運転系統が東北本線を走行している。運行形態の詳細については各路線・運転系統の記事を参照。
- 宇都宮線(東北線) : 東京都心と小山駅・宇都宮駅方面とを結ぶ中距離列車。日暮里駅(通過) - 赤羽駅間は尾久駅経由。京浜東北線などと並行する大宮駅以南では一部の駅のみ停車する。詳細は後述。
- 高崎線 : 東京都心と熊谷駅・高崎駅方面とを結ぶ中距離列車。大宮駅以南では宇都宮線に乗り入れ、同一の線路を走行。
- 常磐線快速電車・常磐線 : 東京都心と松戸駅・取手駅・土浦駅方面とを結ぶ路線。上野駅 - 日暮里駅間は東北本線上に敷設された専用線路を走行。
- 京浜東北線[† 6] : 東京駅 - 大宮駅間の電車線で運行される近距離電車。東海道本線電車線および根岸線と一体化し大宮駅 - 大船駅間を結ぶ。日暮里駅 - 赤羽駅間は田端駅経由。各駅停車が基本だが、1988年より日中に東京都心部で快速運転を行っている[20]。
- 山手線[† 6] : 東京都中心部を環状運転する電車。東京駅 - 田端駅間で東北本線電車線を走行する。全電車各駅停車。
- 埼京線[† 6] : 赤羽駅 - 武蔵浦和駅 - 大宮駅間の東北新幹線沿いに建設された東北本線の別線(通勤新線)と赤羽線・山手貨物線と一体化して大崎駅・新宿駅 - 大宮駅間を結ぶ。りんかい線・川越線・東海道本線品鶴線・東海道貨物線・相鉄新横浜線・本線(相鉄・JR直通線)との直通運転も行う。
- 中央線 : 東京都心と多摩地域を結ぶ路線。東京駅 - 神田駅間は東北本線上に敷設された専用線路を走行。
また、宇都宮線・高崎線および常磐線快速電車・常磐線では、上野駅を発着する従来からの系統に加えて、JR発足後に次の運転形態が新設されている。
- 湘南新宿ライン : 東北貨物線と山手貨物線・東海道本線品鶴線を使用して池袋駅・新宿駅・渋谷駅を経由し、高崎線と東海道線大船駅以西の相互間、東北本線(宇都宮線)大宮駅以北と横須賀線との相互間をそれぞれ直通運転する。2001年12月より運行を開始した[報道 2]。
- 上野東京ライン : 上野駅 - 東京駅間に整備された列車線経由で東北本線(宇都宮線)・高崎線と東海道線との相互直通運転、および常磐線から東海道線品川駅までの乗り入れを行う。2015年3月改正より運転されている[報道 1]。
系統別停車駅比較表編集
- 直通先は正式路線名である。
- ●:全列車停車、▲:快速は通過、▼:平日ダイヤの快速は通過、━:全列車通過、=:経由せず
- 中央線と埼京線はここでは省略する。
系統 | 直通先 | 東京駅 | 神田駅 | 秋葉原駅 | 御徒町駅 | 上野駅 | 鶯谷駅 | 日暮里駅 | 西日暮里駅 | 田端駅 | 尾久駅 | 上中里駅 | 王子駅 | 東十条駅 | 赤羽駅 | 川口駅 | 西川口駅 | 蕨駅 | 南浦和駅 | 浦和駅 | 北浦和駅 | 与野駅 | さいたま新都心駅 | 大宮駅 | 直通先 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
上野駅 発着列車・ 上野東京 ライン |
宇都宮線 | 伊東線 - 東海道本線 | ● | ━ | ━ | ━ | ● | ━ | ━ | = | = | ▲ | = | ━ | ━ | ● | ━ | ━ | ━ | ━ | ● | ━ | ━ | ▲ | ● | 東北本線 |
高崎線 | 伊東線 - 東海道本線 | ● | ━ | ━ | ━ | ● | ━ | ━ | = | = | ▲ | = | ━ | ━ | ● | ━ | ━ | ━ | ━ | ● | ━ | ━ | ▲ | ● | 高崎線 - 上越線 - 両毛線 | |
常磐線 | 東海道本線 | ● | ━ | ━ | ━ | ● | ━ | ● | 松戸方面 | 常磐線( - 成田線我孫子支線) | ||||||||||||||||
湘南新宿 ライン |
宇都宮線 | 横須賀線 - 東海道本線(含品鶴線) | 山手貨物線 新宿・池袋経由 |
━ | = | ━ | ━ | ━ | ● | ━ | ━ | ━ | ━ | ● | ━ | ━ | ━ | ● | 東北本線 | |||||||
高崎線 | 東海道本線(含品鶴線) | ━ | = | ━ | ━ | ━ | ● | ━ | ━ | ━ | ━ | ● | ━ | ━ | ━ | ● | 高崎線 - 上越線 - 両毛線 | |||||||||
京浜東北線 | 根岸線 - 東海道本線 | ● | ● | ● | ▼ | ● | ▲ | ▲ | ▲ | ● | = | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | - | |
山手線 | 山手線 - 東海道本線 | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | 池袋方面 | 山手線 |
東京駅 - 黒磯駅間(宇都宮線)編集
「宇都宮線」の愛称を持つ東京駅・上野駅 - 黒磯駅間の中距離列車は直流電車で運行され、宇都宮駅を境に系統が分割されている。宇都宮駅以南を運行する列車については原則として東京駅方面(上野東京ライン)・上野駅発着と新宿方面発着(湘南新宿ライン)の2本立てで運行し、一部は古河駅・小金井駅で折り返す運転となっている。栃木県・茨城県・埼玉県から東京への通勤路線、そして宇都宮の近郊路線であり、グリーン車2両を連結した10両ないし15両編成の長編成列車を主体とに運行されている。2006年7月8日以前は、15両編成の列車は小金井駅以北への乗り入れが不可能であり小金井駅において分割・併合作業が多く行われていたが、同日以降は小金井駅 - 宇都宮駅間でも15両編成の乗り入れが可能となり小金井駅で分割・併合作業を行う列車は減少した。また、朝の下り方面と夕方以降は快速「ラビット」[† 11] も運転されている。
宇都宮駅 - 黒磯駅間は宇都宮の近郊路線であり、1時間に2 - 3本の運転である。早朝の1本の小山駅始発黒磯駅行きを除いて終日宇都宮駅発着であり、小山駅始発の列車を含めて3両または6両編成によるワンマン運転が実施され、普通列車グリーン車の営業も行われない。このほか、宇都宮駅 - 宝積寺駅間では烏山線列車も運行されている。一方で、黒磯駅以北へ直通運転する列車は、黒磯駅 - 新白河駅間が交直流電車と気動車[† 12] の運用に切り替わった2017年(平成29年)10月以降においても設定されていない。
黒磯駅 - 新白河駅間編集
栃木県と福島県の県境域にわたる区間である。以前は交流電車中心に運用される新白河駅以北と一体的な運用が行われていたが、2018年(平成30年)1月1日から3日に行われた黒磯駅構内直流化に先立つ2017年(平成29年)10月14日に系統が分割され、交直流電車・気動車[† 12]による折り返し運用に改められている。交流電車の運用は廃止されたため、理論上は黒磯駅以南への直通運転が可能であるが、黒磯駅構内直流化後においても、新白河駅より宇都宮線区間へ直通する列車は設定されていない。新白河駅以北へ直通する列車については、夜間留置の関係から朝に白河発黒磯行きが1本運行されているのみである。
運行本数は、1 - 2時間に1本程度である。
新白河駅 - 福島駅間編集
この区間は福島県内の白河・須賀川・郡山・福島付近の短距離通勤通学輸送が主で、新白河駅・郡山駅・福島駅を始発・終着とする列車を中心に運行されている。概ね郡山駅で系統は分割されているが、朝夕の一部列車は直通運転する。
朝夕には福島以北に乗り入れる列車があるが、2013年(平成25年)3月16日のダイヤ改正で削減された。2021年(令和3年)3月13日のダイヤ改正では、下りの藤田以北への直通がなくなった。
運行本数は1時間に1本 - 2本程度である。朝晩には福島駅 - 松川駅間および郡山駅・福島駅 - 矢吹駅間の運用があるほか、夜間留置の関係上、朝に白河駅 - 新白河駅間、夜に郡山発白河行きの区間列車が各1本運行されている。このほか、安積永盛駅 - 郡山駅間には水郡線の普通列車が乗り入れる。
この区間についても日中は、一部列車がワンマンで運行されている(多客が発生する場合は、ワンマンを解除し、車掌が乗務する)。
福島駅 - 白石駅間編集
福島県と宮城県の県境域にわたる区間である。区間の大半が福島県内であるが、朝夕と深夜の藤田駅発着と午前中の白石駅発着を除く全ての列車が仙台駅まで運行されている。かつては昼前後の利用者の少ない閑散駅を通過する快速列車「仙台シティラビット」(3往復)が運行されていたが、2021年3月のダイヤ改正で普通列車に置き換わる形で廃止された。
運行本数は基本的に1時間に1本である。
この区間についても日中は、一部列車がワンマンで運行されている(多客が発生する場合は、ワンマンを解除し、車掌が乗務する)。
白石駅 - 仙台駅間編集
宮城県仙台市の都市圏輸送区間である。宮城県内の通勤通学・仙台商圏の旅客が主体となっており、岩沼駅からは常磐線、名取駅からは仙台空港アクセス線系統の列車も乗り入れている。このほか槻木駅を介して阿武隈急行線と直通する列車も設定されている。基本的に仙台駅が始発・終点となる列車が多いが、常磐線直通列車を含めてラッシュ時には仙台駅をまたいで南北に直通する列車も数本設定されている。かつては仙山線に直通する列車(2007年3月17日をもって廃止)も少数ながら運行されていた。
東北本線系統の1時間の運行本数は白石駅 - 仙台駅間が2 - 3本(昼間約20 - 30分間隔)である。また、岩沼駅 - 仙台駅間では常磐線から乗り入れる普通列車(1時間に1 - 2本)、名取駅 - 仙台駅間では仙台空港線直通の普通・快速列車(1時間に1 - 3本)も運行され、名取駅 - 仙台駅間ではこれらの直通列車を含むと1時間に日中5 - 6本、朝夕は最大10本程度の列車が運行される。
仙台駅 - 小牛田駅間編集
この区間も仙台圏の都市圏輸送を担っており、仙台駅 - 松島駅・小牛田駅・石越駅・一ノ関駅方面間の列車のほか、仙台駅 - 岩切駅間では朝夕に利府線(利府支線)との直通列車が、仙台駅 - 塩釜駅間[† 13]では接続線を経由し仙石線・石巻線に直通する仙石東北ラインの快速・特別快速列車も運行される。
1時間に1 - 2本の運行であるが、仙台駅 - 塩釜駅間では仙石東北ライン(高城町駅経由石巻駅・女川駅発着)を含めて2-3本程度である(「仙石線#東北本線との直通運転」も参照)。
なお、仙石東北ラインの開業までは松島駅発着の区間列車が1時間に3本運行されていたが、開業後は朝1本の松島発仙台行きと夜2本の仙台発松島行きを除いて廃止されている。
小牛田駅 - 一ノ関駅間編集
宮城県北部と岩手県南部およびその県境部にわたる区間であり、運行本数は1時間に1本程度である。朝と夜に石越駅発着の仙台方面への直通列車が設定されている。一ノ関駅をまたいで直通する定期列車は設定されていない。
当区間の南側は小牛田までの運行がほとんどであり、仙台方面との直通列車は朝夕の数往復のみとなっている。2015年3月13日までは日中でも仙台方面との直通列車が運行されており、一部列車は小牛田駅で列車編成の連結・切り離しが行われていたが翌日のダイヤ改正で系統分割された。
朝晩の一部列車を除き、ワンマン運転による2両編成が大半を占める。
一ノ関駅 - 盛岡駅間編集
岩手県内の一関・水沢・北上・花巻・盛岡への通勤通学客輸送を主体とする区間である。運行本数は一ノ関駅 - 北上駅間が1時間に1本程度、北上駅 - 盛岡駅間が1時間に2本程度(30 - 40分間隔、昼間の一部は日詰駅 - 盛岡駅間)の運行である。平日朝(6時台の日詰発は毎日運転)に日詰駅 - 盛岡駅間の区間列車の運行があり、平日朝は日詰 - 盛岡を中心に1時間あたり最大6本程度運転される。なお、2019年9月21日に岩手医科大学附属病院(盛岡市内丸)が矢巾町に新築移転したため、同日より平日朝に盛岡駅→日詰駅間で上り臨時列車が当分の間運行される[報道 3]。
日中時間帯を中心に一部列車は2両編成のワンマン運転となっている。朝夕は4両編成も多く運行される。
他路線からの直通運転としては、花巻駅 - 盛岡駅間に釜石線直通列車が1日6往復(普通列車3往復および快速「はまゆり」3往復)乗り入れている。また朝時間帯にはいわて銀河鉄道線に直通する列車が運行されており、滝沢駅・いわて沼宮内駅発着が1往復ずつのほか、平日のみさらに花輪線鹿角花輪駅から上り1本が日詰駅まで乗り入れる。なお、2010年12月3日までは青い森鉄道線の八戸駅まで直通する列車も存在した。
快速「アテルイ」編集
朝の通勤時間に1日下り1本のみ運転。水沢駅と盛岡駅の間を54分で結ぶ。
- 停車駅
- 使用車両
- 同区間の普通列車と同じく、701系電車を使用。全車自由席・禁煙車。
- 沿革
- 1993年3月18日 - 気動車で[21] 休日運休(平日・土曜日のみ運転)の臨時列車として水沢発盛岡行きの快速列車の運転を開始[新聞 1]。停車駅は北上駅・花巻駅・仙北町駅のみ[新聞 1]。
- 1995年ごろ - 電車に置き換え、定期列車化(引き続き休日運休)、停車駅に矢幅駅を追加[22]。
- 2001年12月1日 - ダイヤ改正に伴い、アテルイ没後1200年記念事業の一環として快速列車の愛称を「アテルイ」とした。
- 2010年12月4日 - ダイヤ改正により、平日・土曜日のみ運転から毎日運転となる。(運転日に日曜・祝日を追加)
- 2020年3月14日 - ダイヤ改正に伴い、新たに金ケ崎駅・六原駅・村崎野駅が停車駅となった[報道 4]。
貨物列車編集
田端信号場駅 - 盛岡駅間では、JR貨物が第二種鉄道事業として貨物列車を運行している。
2014年3月ダイヤ改正[23] 時点では、大宮操車場 - 盛岡貨物ターミナル駅間で1日約40往復(区間列車を含む)のコンテナ高速貨物列車が運行されており、臨時列車も設定されている。首都圏と東北各地や北海道を結ぶ貨物列車が多いが、東北本線貨物線(東北貨物線)から武蔵野線または山手貨物線、東海道本線支線(東海道貨物線)を経由して東海道本線沿線の名古屋圏や近畿圏などを発着する列車も設定されている。このほか、東京湾岸の根岸駅・川崎貨物駅・千葉貨物駅を発着する石油輸送列車が、宇都宮貨物ターミナル駅まで1日3往復、郡山駅まで1日2往復運行されている(いずれも定期列車の本数)。
東北本線内で定期貨物列車が発着する駅は、宇都宮貨物ターミナル駅・郡山貨物ターミナル駅・郡山駅・岩沼駅・仙台貨物ターミナル駅・水沢駅・盛岡貨物ターミナル駅である。また陸前山王駅からは貨物専用の仙台臨海鉄道に、小牛田駅からは石巻線の貨物列車に接続している。
なお仙台付近の長町駅 - 東仙台駅間では、旅客駅の仙台駅を経由しない貨物列車専用の支線(通称“宮城野貨物線”)を経由しており、仙台貨物ターミナル駅も同貨物線にある。
使用車両編集
東京近郊の山手線・京浜東北線・埼京線などや、高崎線・常磐線直通列車の使用車両は当該記事を、特急列車については優等列車で挙げられている各項目を参照。
黒磯駅以南の直流電化区間は直流電車、同駅以北の交流電化区間は同駅 - 白河駅間で交直流電車、新白河駅以北で交流電車が使用される。また非電化線区に直通する列車には気動車などが使われる。
東京駅 - 黒磯駅間編集
黒磯駅 - 新白河駅間編集
新白河駅 - 一ノ関駅間編集
- 普通列車
- 仙台空港アクセス線普通・快速
- E721系500番台 - 仙台車両センター所属
- SAT721系 - 仙台車両センター所属(仙台空港鉄道管理受託車)
- 仙石東北ライン特別快速・快速
- その他の路線からの直通
一ノ関駅 - 盛岡駅間編集
- 普通列車
- 他路線からの直通
貨物列車編集
- 交直流電気機関車 - 全区間を通して運用
- 直流電気機関車 - 黒磯駅以南の直流区間(宇都宮線区間)で運用
- ディーゼル機関車
- DE10 - 石巻線直通列車、郡山貨物ターミナル駅 - 郡山駅間で運用
- DD200 - 同上
- 貨車
など
歴史編集
概略編集
東北本線の建設計画は、明治初期に東京以北の鉄道敷設を主張する高島嘉右衛門の意を受けた右大臣岩倉具視が、当時イギリス留学中の蜂須賀茂韶および鍋島直大に諮り、1871年(明治5年)に「東京より奥州青森に至る鉄道」と「東京より越後新潟に至る鉄道」の必要性が政府に提言されたことに始まる。翌年にはこれに賛同した徳川慶勝ら華族による鉄道建設運動が始まり、国家予算に頼らない私設鉄道建設の機運高まる1880年(明治14年)、華族のみならず士族、平民にわたる人々の賛同を得て、以下のような全国への鉄道を建設することを目的とする、日本初の私鉄「日本鉄道会社」が設立された[5]。
- 東京 - 高崎間の鉄道と、この区間から分岐して奥州青森に至る鉄道
- 高崎より中山道を経て敦賀に至り、東西両京を連絡する鉄道
- 中山道から分岐し新潟を経て羽州に至る鉄道
- 九州豊前大里 - 小倉 - 長崎間の鉄道と、この区間から分岐し肥後に至る鉄道
この第一番目の計画の背景として、明治新政府は北海道では1869年(明治2年)に開拓使を設置して開拓を進め、東北地方では1878年(明治11年)の土木7大プロジェクトなどで開発を推し進めており、それに必要な資材を輸送するために早急な鉄道建設が必要と考えていたことや、東北の物産を関東に運搬しさらに横浜港に接続する鉄道が望まれていたこと等が挙げられている。実際にはこの計画は上野駅 - 前橋駅(内藤分停車場)間と大宮駅 - 青森駅間の線路として建設、実現化された。当初、これらの路線は東京 - 高崎間が第一区線、第一区線の途上駅 - 宇都宮 - 白河間が第二区線、白河 - 仙台間が第三区線、仙台 - 盛岡間が第四区線、盛岡 - 青森間が第五区線とされ、この順番で建設が進められた。
第一区線はもともと京浜線(新橋 - 横浜間の鉄道)の間にある品川から山手を経て赤羽、川口と経る経路が計画されたが、起伏地の多いこの区間の建設には技術的に時間がかかることが想定されたため、まずは上野を起点とし赤羽に至る経路で建設することとなった[5]。1883年(明治16年)7月28日、日本初の「民営鉄道」として上野駅 - 熊谷駅間が開業した。開業時の開設駅は上野駅(・王子駅)・浦和駅(・上尾駅・鴻巣駅・熊谷駅)で、現在は中距離列車の停車しない王子駅も含まれていた一方、大宮には駅が設置されなかった。翌1884年(明治17年)に高崎駅、前橋駅まで延長され、第一区線は全通した。高崎まで開通した同年6月25日には、明治天皇臨席のもと上野駅で開通式が行われ、この際に明治天皇は上野 - 高崎間を往復乗車した。
一方で、第二区線の敷設経路についてもいくつかの案(熊谷、大宮、岩槻分岐案)が提示されていた。当時、現栃木県域の実業家等は養蚕業および製糸業の中心地である両毛地区(現在の桐生市・足利市・佐野市付近)を経由して第二区線を建設することを求めて日本鉄道会社に出資し、また政府も養蚕・製糸業を殖産業に位置づけていたため、これを経る熊谷分岐案が最有力と見られていた。一方、もともと第一区線と第二 - 五区線は東京から個別の線路とすべきとの考えを持っていた当時の鉄道局長井上勝は、政府諮問に対し、第一区線を最短経路の赤羽 - 浦和 - 岩槻と敷き、第二区線は岩槻で分岐する岩槻分岐案を答申したアメリカ人鉄道技師クロフォードの意見、また第一区線を赤羽 - 浦和 - 大宮と敷き、第二区線は大宮で分岐する大宮分岐案を答申したイギリス人鉄道技術者ボイルの意見も含め、「足利方面には支線敷設が妥当」とする上申書を工部卿・佐々木高行に提出、宇都宮以北への最短ルートである大宮分岐案または岩槻分岐案が残り、最終的には井上勝の判断によって、平坦地を通り建設費用も格段に安く日本陸軍も支持していた大宮分岐案が採用された。この決定により、上野駅 - 前橋駅間の日本鉄道第一区線の大宮に大宮駅が開設され、この大宮駅を分岐点として第二区線が建設されることとなった[5]。
第二区線の建設は急ピッチで進められ、まず、1885年(明治18年)7月に大宮駅 - 宇都宮駅間の営業が開始され、途中には蓮田・久喜・栗橋・古河・小山・石橋の各駅(停車場)が設置された。当時利根川の架橋が完了しておらず、この区間には渡船が運行され、栗橋駅 - 古河駅間の現在の利根川畔には中田仮停車場が設けられて利根川鉄橋の開通まで運用された。開通式は上野駅と宇都宮駅で行われ、当日は宮内卿伊藤博文、鉄道局長井上勝、東京府知事渡辺洪基が上野駅 - 宇都宮駅間を往復し、栃木県知事樺山資雄は一行を中田仮停車場にて出迎えた[5]。また利根川鉄橋の開通時には明治天皇が上野駅 - 栗橋駅間を往復して利根川架橋を賞賛した。
以後、第二区線の残り区間および第三・第四・第五区線は引き続き段階的に那須、郡山、塩竈、一関、盛岡、青森へと延伸されていった。第三区線の北半分の区間においては、1882年(明治15年)11月30日に福島から仙台区(現・仙台市)を経て石巻湾(仙台湾)の野蒜築港に至る経路で測量が認可された[24]。しかし、野蒜築港が1884年(明治17年)9月15日の台風で損壊して機能不全に陥ったため、1886年(明治19年)より松島湾(仙台湾)の塩釜港で建設資材の陸揚げが開始された[24]。このため第三区線の北半分の区間は、仙台駅を過ぎて塩竈駅(後の塩釜線塩釜埠頭駅。現在の塩釜駅とは異なる)まで至る経路で1887年(明治20年)12月に開通した。盛岡駅までの第四区線は、野蒜築港の挫折を受けて野蒜を経由しない経路になったため、仙台駅 - 塩竈駅間の途中にある岩切駅から分岐して松島丘陵を越えて北上する経路で建設された。盛岡駅 - 青森駅間の第五区線も1891年(明治24年)9月に開通して上野駅 - 青森駅間全通となった(直通は1日1往復。片道約26時間半。運賃下等4円54銭)。
当線の上野駅 - 青森駅間の営業距離は新橋から東海道本線を経て山陽鉄道(現・JR山陽本線)岡山駅を過ぎた辺りまでとほぼ等しいが、山陽鉄道が倉敷まで開業したのが当線開通と同年の4月であったことを踏まえると、東京から北と西にほぼ等しい速度で鉄道が敷設されていったことが分かる。
1900年(明治33年)に大和田建樹が作詞した『鉄道唱歌』第3集奥州・磐城線編では、東北本線と常磐線の開通を以下のように祝って歌っている。
- 40番「勇む笛の音いそぐ人 汽車は着きけり青森に むかしは陸路廿日(はつか)道 今は鉄道一昼夜」
- 63番「むかしは鬼の住家とて 人のおそれし陸奥(みちのく)の はてまでゆきて時の間に かえる事こそめでたけれ」
- 64番「いわえ人々鉄道の ひらけし時に逢える身を 上野の山もひびくまで 鉄道唱歌の声立てて」
当時、当線は日本鉄道奥州線と言われており、現在の東北本線の名称となったのは日本鉄道が国有化された後の1909年(明治42年)のことである[5]。
また、当線の東京近郊区間には上野駅 - 大宮駅間を中心に三等車のみの近距離区間列車が複数設定され、現在の京浜東北線(東北本線電車線)が赤羽駅以南区間で運行開始されるまで、首都圏近距離区間輸送も担っていた[25]。この京浜東北線開業後の1929年(昭和4年)6月、日暮里駅から北東に分岐し貝塚操車場まで伸びていた回送線を赤羽駅まで延伸したうえで貝塚操車場を廃止、同所に尾久駅を設けて列車線とすることで、鶯谷駅・田端駅・王子駅を経由していた中・長距離列車と近距離電車線を相互に独立した形で運行させることが可能となり、同年6月20日より尾久駅経由の運輸が開始された[16]。
第二次世界大戦中は戦時体制で運行本数は極限まで減らされたが、戦後はGHQの意図によって東京駅 - 上野駅間に東北本線の中・長距離列車が乗り入れ、青函連絡船・函館本線・室蘭本線等と一体化した東京 - 北海道間旅客輸送も行われた。さらに高度経済成長に伴う鉄道の高速化事業に乗り、当線も電化・複線化が進み、東京から宇都宮駅を経て栃木県の観光地(日光・那須方面)間を結ぶ中距離優等列車が当時最新型の157系「日光型」を使用して運行されたほか、当線の全線電化・複線化が完了した1968年(昭和43年)10月には「ヨンサントオ」と通称される白紙ダイヤ改正が実施され、これ以降東北本線にも485系電車や583系電車・455系電車・165系電車を用いた特急・急行列車が大増発された。
東北新幹線開業後は、長距離優等列車は新幹線経由で運行されることとなり、線路容量に余裕が生じた在来線では中距離普通列車が増発された。また、津軽海峡海底部に建設された青函トンネルの開通後は当線を経由して東京と北海道を結ぶ寝台特急列車や貨物列車が設定されるようになるという変化も起きた。1990年(平成2年)3月10日には、上野駅 - (日暮里駅) - 尾久駅 - 赤羽駅 - 黒磯駅間に「宇都宮線」の愛称が制定され、鉄道利用者がこの区間を「東北本線」や「東北線」と呼ぶことは少なくなった。
2002年(平成14年)12月1日に東北新幹線 盛岡駅 - 八戸駅間が開業した際、当線の盛岡駅 - 目時駅間はIGRいわて銀河鉄道に、目時駅 - 八戸駅間は青い森鉄道に経営移管され、当線の本線は東京駅 - 盛岡駅間と八戸駅 - 青森駅間の2つに分かれることとなった。その後、2010年(平成22年)12月4日に東北新幹線 八戸駅 - 新青森駅間が開業して全通し、当線の八戸駅 - 青森駅間は青い森鉄道に経営移管された。以降は、本線の正式な区間としては東京駅 - 盛岡駅間となり、一般的に「東北本線」の名称が用いられるのは黒磯駅 - 盛岡駅間となっている。
年表編集
日本鉄道編集
- 1883年(明治16年)7月28日:日本鉄道第一区の上野 - 熊谷間開通、上野駅・王子駅・浦和駅・上尾駅・鴻巣駅・熊谷駅開業。このうち上野 - 大宮駅(この時点では未開業)間が現在の東北本線に相当する。
- 同年内に王子 - 浦和間に(貨)川口駅開業。
- 1884年(明治17年)
- 1885年(明治18年)
- 1886年(明治19年)
- 1887年(明治20年)
- 1888年(明治21年)10月11日:増田駅(現・名取駅)・岩切駅開業。
- 1890年(明治23年)
- 1891年(明治24年)
- 1892年(明治25年)
- 3月1日:鹿島台駅開業。
- 10月20日:王子 - 浦和間に(貨)川口駅開業。上野 - 赤羽間、川口 - 大宮間複線化。
- 1893年(明治26年)
- 1894年(明治27年)
- 1895年(明治28年)
- 1896年(明治29年)
- 1897年(明治30年)
- 1898年(明治31年)
- 1899年(明治32年)
- 10月7日:矢板 - 野崎間で箒川鉄橋列車転落事故が発生。
- 10月21日:宝積寺駅開業。
- 1900年(明治33年)9月5日:藤田駅開業。
- 1904年(明治37年)12月31日:中山 - 小鳥谷間に小繋給水所開設。
- 1905年(明治38年)
- 1906年(明治39年)