長町 (仙台市)

宮城県仙台市太白区・青葉区の町丁・大字
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長町(ながまち)は、宮城県仙台市太白区および青葉区[2]町丁大字郵便番号は太白区長町一丁目から八丁目までが982-0011、太白区長町字越路が982-0837[4][5]人口は17,144人、世帯数は9,306世帯(2023年10月1日現在)[1]。現行行政地名は長町一丁目から長町八丁目および小字。長町一丁目から長町八丁目で住居表示を実施している[6]。旧陸前国名取郡根岸村・平岡村、陸前国名取郡長町村、名取郡茂ヶ崎村大字長町、名取郡長町大字長町仙台市長町

長町
町丁大字
たいはっくる
(2022年9月11日)
日本の旗 日本
都道府県 宮城県の旗 宮城県
市町村 仙台市
行政区 太白区青葉区
人口情報2023年10月1日現在[1]
 人口 17,144 人
 世帯数 9,306 世帯
設置日 1889年(明治22年)
4月1日
郵便番号 982-0011
982-0837(越路)
市外局番 022
ナンバープレート 仙台
町字ID[2] 0007000(大字)
0007001(一丁目)
0007002(二丁目)
0007003(三丁目)
0007004(四丁目)
0007005(五丁目)
0007006(六丁目)
0007007(七丁目)
0007008(八丁目)
0106101(青葉区長町)
運輸局住所コード[3] 04004-0356
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江戸時代奥州街道宿場町である長町宿(ながまちじゅく)として始まり、仙台南部における交通の要衝、流通の中心地の一つとして発達した。

歴史 編集

江戸時代 編集

関ヶ原の戦いで世の大勢が決した後、徳川家康は徳川家による統治をより強固なものとするために、日本各地の街道と宿駅制度の拡充を求めた。これを受けて、仙台藩領内でも街道と宿場の整備が行われた。五街道の一つである奥州街道では段階的に宿場が整備、建設され、1612年に平岡村と根岸村に跨る形で一つの宿場町が設置された。これが長町宿である。長町宿は仙台城下から数えて一つ目の宿場だった。長町宿の設営には仙台城の普請奉行だった金森隠岐ならびに津田豊前景康が携わり、街道沿いに86軒の町屋敷が作られた。奥州街道の他に、長町宿から西へ延びる二つの街道もあり、総じて長町宿の伝馬役の負担は大きなもので、それに耐えかねて潰れる家もあったという。1623年に記された連署申上状に、長町宿は今や35軒で伝馬役を負担している、という訴えが残っている[7]

江戸時代の長町は、仙台城やその城下町で使われる木材の集積地の一つでもあった。それらの木材は、広瀬川の支流である大倉川および新川川周囲の藩有林、また名取川上流周辺の藩有林から切り出されたもので、川の流れを利用して下流へと流された。広瀬川に流された木材は角五郎木場に、名取川に流されたものは長町木場に集められ、そこから城下へ流通して、薪などに使われた。長町木場では毎年45万本から60万本の流木(ながしぎ)が取り扱われたという[8]

1868年戊辰戦争が起こると、仙台藩は主要街道警備のために、原町、七北田、半子町、茶屋町と共に、長町にも警衛の兵を置き、新政府軍に備えた[9]

明治・大正・昭和初期 編集

1874年明治7年)に根岸村及び平岡村が合併し、長町村が発足する。1878年(明治11年)10月21日に名取郡が発足し、郡役所が長町村に設置された。

1888年(明治21年)に市制町村制が公布され、翌1889年(明治22年)4月1日の町村制の施行により、長町村及び郡山村の区域をもって、同日、仙台区の区域の内、宮沢の区域を編入し、茂ヶ崎村(もがさきむら)として発足した。茂ヶ崎は長町から北西方向にある大年寺山の別称であり[10]、茂ヶ崎の地名は現在も残っている。

1887年日本鉄道が現在の東北本線塩竈まで開通させたが、この当時は長町に駅は置かれなかった。1894年日清戦争が起こると、仙台にあった陸軍第2師団が軍用の停車場を長町に設置させ、兵員がここから万歳の歓呼のもと戦地へ向けて出征した。1896年に一般駅として長町駅が開業する。1904年日露戦争が勃発すると、再び長町駅から兵員が送り出された[11]

1892年、長町に青果市場が設置された。この頃、仙台の周辺で収穫された農産物や水産物は、長町、河原町、原町、堤町、北山、八幡町のいずれかを経由し、そこから小売商人によって仙台市内に流通した。その他に、長町には米穀店や薪炭店が多く集まっていた[12]。後の1923年に中央卸売市場法が成立すると、長町市場はこれの認可を受けることができなかったものの、産業組合法をもって青果市場の機能を維持した[13]。鉄道駅と市場の設置によって、長町は交通と物流の要衝として発達した[14]

1915年大正4年)2月1日に茂ヶ崎村は町制施行・改称し長町となり[10]1928年昭和3年)4月1日に宮城郡原町とともに仙台市に編入された。この間、1914年に長町と秋保を結ぶ秋保軌道が開通し[15]1925年には国鉄長町駅に貨車操車場が設置された[14]。また、1936年には路面電車である仙台市電の長町線が開通し、長町はその終着点となった[16]

太平洋戦争中の1945年7月10日の仙台空襲では、長町はアメリカ軍の爆撃目標の中心点から遠かったが被災した[17]

昭和中期から平成 編集

大正時代に設置された長町駅の貨車操車場はその後も段階的に拡張が行われていたが、1950年からこれの大規模な改良が行われた。この改良工事は1955年に完成し、長町駅は1日に2400両の貨車を取り扱える規模の操車場となった。1959年の繁忙期に1日で2963両を取り扱ったという記録が残っている[18]。一方、業績の低迷と設備の老朽化から、秋保電気鉄道が1961年に廃止された[19]

1960年、宮城野原旧練兵場跡に仙台中央卸売市場が開設された。これの青果部門は、青物卸売業者の収容折衝に紆余曲折があり、1961年に業務を開始した。長町市場は2年間の期限付きで仙台中央卸売市場の分場として残され、1963年に閉鎖された[20]

1976年モータリゼーションの発達に伴う交通渋滞や収支赤字の問題から、長町線を含めて仙台市電全線が廃止された[21]。また、この頃になると、社会情勢の変化から日本の鉄道貨物の輸送量は減少傾向にあった。1984年のダイヤ改正で、国鉄は操車場での貨車中継方式を完全に廃止し、コンテナ列車を主体とする直行輸送へ舵を切った。これによって長町操車場もその機能を停止し[22]、機関車の車両基地である長町機関区が残った。長町機関区も後に移転し、長町操車場跡地はあすと長町として再開発されることになる。

1987年仙台市地下鉄南北線が開通し[23]、東北本線と接続する長町駅の他に、長町一丁目駅が設けられた。長町南駅周辺はもともと水田地帯だったが、地下鉄開業を見越して1980年代から宅地開発が行われ、また1989年の仙台市の政令指定都市移行に先立ち、区役所の建設が行われた。1990年代になるとショッピングモールであるザ・モール仙台長町が近傍に進出した[24]

この当時、石井亨が仙台市長を務めていた。石井は機能分散型の都市構造を模索し、仙台市の東西南北にそれぞれの副都心構想を描いた。北は泉中央副都心、西は愛子副都心、東は東部副都心、南は長町副都心が設定され、それぞれを再開発し、商業、生活、文化施設を計画的に設置して、土地利用の高度化を図ろうとした[25]

町名の変遷 編集

長町地区の住居表示の施行に伴う、丁目が設定された際の町名の変遷は以下の通りとなる[26]

実施後 実施年月日 実施前(各町名ともその一部)
長町一丁目 1968年8月1日 長町 字北町
字八本松
字西浦
字木場後
長町二丁目 字西浦
字木場後
長町三丁目 字南町
長町四丁目 字西浦
字山根街道南
長町五丁目 字大道西南
字大道東
字南町
字大道西
字山根街道南
長町六丁目 字大道西南
字大道東北
字大道西
字広岡
字広岡東
長町七丁目 字山根街道南
字鍋田
字八幡前
字南矢流
字中谷地
字鳥居原
長町八丁目 字福聚院前
字山根街道南
字笠見
字鹿野前
字北矢流
字八幡前

長町から分離し住居表示が施行された町名の変遷は以下の通りとなる[27]

実施前(各町名ともその一部) 実施年月日 実施後(各町名ともその一部)
長町六丁目 2004年7月18日 あすと長町三丁目
長町 字芦ノ口 1979年7月1日 芦の口
大塒町
西の平一丁目
西の平二丁目
八木山東一丁目
八木山東二丁目
1973年5月1日 土手内三丁目
若葉町
松が丘
字大窪谷地 1966年5月1日 向山一丁目
向山二丁目
向山三丁目
向山四丁目
萩ケ丘
越路
字大塒 1979年7月1日 大塒町
芦の口
1973年5月1日 恵和町
若葉町
字鹿野前 1968年8月1日 鹿野一丁目
鹿野二丁目
字鹿又 八本松二丁目
郡山四丁目
字鹿野屋敷 1973年5月1日 緑ケ丘一丁目
鹿野本町
1968年8月1日 門前町
字上中谷地 1981年7月6日 砂押南町
鹿野三丁目
字北矢流 1968年8月1日 鹿野一丁目
鹿野二丁目
字北町 根岸町
字木場後
字木場東
字越路 1973年5月1日 桜木町
1966年5月1日 萩ケ丘
向山一丁目
向山二丁目
向山三丁目
八木山香澄町
八木山弥生町
八木山緑町
八木山松波町
字越路上平 八木山香澄町
向山一丁目
字鹿除土手 1973年5月1日 土手内一丁目
緑ケ丘一丁目
鹿野本町
1968年8月1日 門前町
字〆木 郡山三丁目
字下河原 八本松一丁目
若林四丁目(若林区
字新田 1981年7月6日 長町南二丁目
字新田北 長町南一丁目
字新屋敷 1968年8月1日 根岸町
門前町
字新屋敷前 根岸町
門前町
字砂押 1981年7月6日 砂押南町
鹿野三丁目
泉崎一丁目
字砂押屋敷 1973年5月1日 砂押町
緑ケ丘一丁目
字大道東北 1968年8月1日 郡山一丁目
字大道東南 郡山二丁目
字地蔵堂 2009年7月21日 長町南三丁目
1981年7月6日 大野田一丁目
字鳥居原
字土手内 1973年5月1日 砂押町
土手内一丁目
土手内二丁目
土手内三丁目
緑ケ丘二丁目
字中河原 1968年8月1日 八本松一丁目
字中谷地 1981年7月6日 鹿野三丁目
泉崎一丁目
長町南三丁目
長町南四丁目
字長岫 1973年5月1日 緑ケ丘三丁目
緑ケ丘四丁目
青山一丁目
青山二丁目
字長嶺 長嶺
1966年5月1日 八木山弥生町
字鍋田 1981年7月6日 長町南一丁目
字西台畑 1968年8月1日 郡山一丁目
郡山二丁目
字西ノ平 1979年7月1日 八木山東一丁目
西の平一丁目
西の平二丁目
金剛沢一丁目
三神峯二丁目
字根岸 1973年5月1日 桜木町
青山一丁目
松が丘
八木山松波町
字畑塒 鹿野本町
緑ケ丘一丁目
緑ケ丘二丁目
緑ケ丘三丁目
1979年7月1日 大塒町
字八本松 1968年8月1日 八本松一丁目
八本松二丁目
字八幡前 1981年7月6日 鹿野三丁目
字東裏北 1968年8月1日 郡山一丁目
八本松一丁目
字東台畑 郡山三丁目
字福聚院前 鹿野一丁目
字二ツ沢 1966年5月1日 八木山弥生町
1973年5月1日 青山二丁目
長嶺
二ツ沢
鹿野本町
字町東 1968年8月1日 郡山一丁目
八本松二丁目
字南矢流 1981年7月6日 砂押南町
鹿野三丁目
1968年8月1日 鹿野二丁目
字宮沢 根岸町
1966年5月1日 越路
字宮田 1981年7月6日 長町南一丁目
長町南三丁目
字茂ケ崎 1985年7月1日 茂ケ崎一丁目
茂ケ崎二丁目
茂ケ崎三丁目
茂ケ崎四丁目
1966年5月1日 向山四丁目
萩ケ丘
字門前町 1968年8月1日 門前町

世帯数と人口 編集

2023年令和5年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りとなる[1]

丁目小字 世帯 人口
長町字越路 153世帯 302人
長町字地蔵堂 0世帯 0人
長町一丁目 1,378世帯 2,282人
長町二丁目 1,204世帯 2,258人
長町三丁目 909世帯 1,540人
長町四丁目 678世帯 1,268人
長町五丁目 1,505世帯 2,682人
長町六丁目 1,227世帯 2,245人
長町七丁目 1,031世帯 2,018人
長町八丁目 1,221世帯 2,549人
9,306世帯 17,144人

小・中学校の学区 編集

小・中学校の学区は以下の通りとなる[28]

町丁 字・番地 小学校 中学校
長町一丁目 全域 長町小学校 長町中学校
長町二丁目
長町三丁目
長町四丁目
長町五丁目 1から2-5
2-39から10-15
10-46から12-19
2-6から2-38 長町南小学校
10-16から10-45
12-20から町名の終わり
長町六丁目 全域
長町七丁目 20から24
1から19 長町小学校
長町八丁目 1から17
18-2から18の終わり
22から23
18-1 鹿野小学校
19から21
長町 字越路 八木山小学校 八木山中学校

脚注 編集

  1. ^ a b c 町名別年齢(各歳)別住民基本台帳人口”. 仙台市. 2023年12月9日閲覧。
  2. ^ a b 日本 町字マスター データセット”. デジタル庁 (2022年3月31日). 2023年9月23日閲覧。
  3. ^ 自動車登録関係コード検索システム”. 国土交通省. 2023年9月23日閲覧。
  4. ^ 宮城県 仙台市太白区 長町の郵便番号”. 日本郵便. 2023年12月9日閲覧。
  5. ^ 宮城県 仙台市太白区 長町(越路)の郵便番号”. 日本郵便. 2023年12月9日閲覧。
  6. ^ 仙台市 住居表示実施地区 町名一覧表(区毎・50音順)”. 仙台市. 2023年12月9日閲覧。
  7. ^ 『仙台市史』通史編3(近世1)308ー309頁。
  8. ^ 『仙台市史』通史編4(近世2)433頁。
  9. ^ 『仙台市史』通史編5(近世3)505頁。
  10. ^ a b 『仙台市史』通史編6(近代1)216-220頁。
  11. ^ 『仙台市史』通史編6(近代1)282頁。
  12. ^ 『仙台市史』通史編6(近代1)246-247頁。
  13. ^ 『仙台市史』通史編7(近代2)117頁。
  14. ^ a b 『仙台市史』通史編7(近代2)291頁。
  15. ^ 『仙台市史』通史編7(近代2)320頁。
  16. ^ 『仙台市史』通史編7(近代2)317頁。
  17. ^ 『仙台市史』通史編7(近代2)514頁。
  18. ^ 『仙台市史』通史編8(現代1)514頁。
  19. ^ 『仙台市史』通史編8(現代1)224-225頁。
  20. ^ 『仙台市史』通史編8(現代1)205-206頁。
  21. ^ 『仙台市史』通史編9(現代2)186-188頁。
  22. ^ 『仙台市史』通史編9(現代2)252頁。
  23. ^ 『仙台市史』通史編9(現代2)193-197頁。
  24. ^ 『仙台市史』通史編9(現代2)139頁。
  25. ^ 『仙台市史』通史編9(現代2)129-131頁。
  26. ^ 新旧対照表(な~の)”. 仙台市. 2023年12月10日閲覧。
  27. ^ 旧新住所対照表(な~の)”. 仙台市. 2023年12月10日閲覧。
  28. ^ 市立小・中学校の学区検索(太白区 な行)”. 仙台市. 2023年12月10日閲覧。

参考文献 編集

  • 仙台市史編さん委員会 『仙台市史』通史編3(近世1) 仙台市、2001年。
  • 仙台市史編さん委員会 『仙台市史』通史編4(近世2) 仙台市、2003年。
  • 仙台市史編さん委員会 『仙台市史』通史編5(近世3) 仙台市、2004年。
  • 仙台市史編さん委員会 『仙台市史』通史編6(近代1) 仙台市、2008年。
  • 仙台市史編さん委員会 『仙台市史』通史編7(近代2) 仙台市、2009年。
  • 仙台市史編さん委員会 『仙台市史』通史編8(現代1) 仙台市、2011年。
  • 仙台市史編さん委員会 『仙台市史』通史編9(現代2) 仙台市、2013年。
  • 平成『仙台市史』資料編8〔近代現代4〕別冊資料(宮城県仙台市、2006)

関連項目 編集