長谷川水戸口顕彰碑(はせがわみとくちけんしょうひ)は、青森県津軽地方十三湖水戸口が閉塞して地域の人々が水害で苦しむのを救済しようと、排水路を開削[1]した長谷川清次郎の功績を伝承するため大正11年に建立されたもの。

長谷川水戸口顕彰碑
長谷川水戸口顕彰碑
情報
駐車台数 普通車20台以上、無料
竣工 大正11年
所在地

037-0403
青森県五所川原市十三五月女萢

長谷川水戸口顕彰碑の位置(青森県内)
長谷川水戸口顕彰碑
座標 北緯41度2分50.45秒 東経140度19分45.22秒 / 北緯41.0473472度 東経140.3292278度 / 41.0473472; 140.3292278 (長谷川水戸口顕彰碑)座標: 北緯41度2分50.45秒 東経140度19分45.22秒 / 北緯41.0473472度 東経140.3292278度 / 41.0473472; 140.3292278 (長谷川水戸口顕彰碑)
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概要 編集

明治初年、当時西津軽郡舘岡村(現つがる市木造)の村長だった長谷川清次郎は、岩木川河口付近にあった十三湖が、漂砂により連続して閉塞し、水位が増して浸水被害に苦しむ人々を救おうとして、自費をもって水路を開削した。距離は約6km、工期は7か月、10万余と5500の米を出役した人々に支給したと言われている。顕彰碑は、その功績を永遠に伝えようと大正11年に地元有志によって建てられ、平成8年3月に現在の場所に移設された。

所在地 編集

青森県五所川原市十三五月女萢

周辺施設 編集

脚注 編集

外部リンク 編集

関連項目 編集