門脇 重綾(かどわき しげあや、文政9年10月18日1826年11月17日) - 明治5年8月3日1872年9月5日))は、江戸時代後期の武士鳥取藩士)、国学者。初め将曹、のち少造と改めた。は重綾。

政治家の門脇重雄は二男。柔道家の門脇誠一郎は孫。

略年譜

編集

系譜

編集
門脇家
渡村日御崎神社の神官門脇家の祖・16世幸高は尼子経久の家臣として戦功を挙げた。17世高政は尼子氏滅亡後大根島入江に移住した。18世重高は元亀2年(1571年)渡村に移住し、江島祇園社と篠津村十羅刹女神社の神官として奉仕した。(『渡村門脇家系譜』)[1]
現在、門脇家の本家は神官職をしていない。
幸高━━高政━━重高・・・<略>・・・重郷━━重綾━━重雄

著書

編集

脚注

編集
  1. ^ 『境港市史 上巻』昭和61年、371頁

参考文献

編集
  • 『境港市史 上巻』1986年、448-454頁
  • 渡公民館運営審議会 『渡・森岡 ふるさとのあゆみ』 119-130頁

関連人物

編集

外部リンク

編集
公職
先代
門脇重綾
神祇少副
  神祇少輔
1871年 - 1872年
次代
(欠員→)黒田清綱
教部少輔
先代
福羽美静
  神祇少副
1871年
次代
門脇重綾
神祇少輔