渡町 (境港市)
渡町 | |
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境港市立渡小学校 | |
北緯35度31分06秒 東経133度12分48秒 / 北緯35.51833度 東経133.21333度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 鳥取県 |
市町村 | 境港市 |
人口 | |
• 合計 | 3,668人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
684-0072[2] |
市外局番 | 0859[3] |
ナンバープレート | 鳥取 |
地理
編集略年表
編集わたりそん 渡村 | |
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廃止日 | 1954年8月10日 |
廃止理由 |
新設合併 渡村、外江町、境町、上道町、余子村、中浜村 → 境港町 |
現在の自治体 | 境港市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陰地方) |
都道府県 | 鳥取県 |
郡 | 西伯郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
3,859人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 境町、外江町、余子村、中浜村 |
渡村役場 | |
所在地 | 鳥取県西伯郡渡村 |
座標 | 北緯35度31分6.2秒 東経133度12分50.7秒 / 北緯35.518389度 東経133.214083度 |
ウィキプロジェクト |
- 明治22年(1889年) - 渡村と森岡村が合併して新しい渡村が成立[4]
- 明治29年(1896年) - 渡村消防組設置[4]
- 明治33年(1900年) - 渡農会創立[4]
- 明治39年(1906年) - 渡小学校に農業補習学校併設[4]
- 明治41年(1908年) - 渡報徳信用組合創立[4]
- 大正2年(1913年) - 渡繭市場開設[4]
- 昭和10年(1935年)
- 昭和13年(1938年)4月 - 優良町村表彰[4]
- 昭和18年(1943年)4月 - 興亜実業専修学校開校[4]
- 昭和22年(1947年)11月 - 昭和天皇が渡授産場を視察[4]
- 昭和28年(1953年) - 渡村優良町村表彰[4]
- 昭和29年(1954年)8月 - 渡村廃村式[4]
自治体としての沿革
編集世帯数と人口
編集2022年(令和4年)7月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
渡町 | 1,624世帯 | 3,668人 |
世帯数と人口の変遷
編集政治
編集町村長・町村会の議員について
編集村長
編集- 庄司栄三郎 明治22年(1889年)12月〜明治26年(1893年)12月[8]
- 松本節造 明治26年(1893年)12月〜明治32年(1899年)9月[8]
- 門脇重雄 明治32年(1899年)9月〜明治34年(1901年)10月[8]
- 庄司栄 明治35年(1902年)4月〜大正4年(1915年)10月[8]
- 庄司廉 大正4年(1915年10月〜大正7年(1918年)12月[8]
- 門脇重雄 大正8年(1919年)3月〜大正10年(1921年)12月[8]
- 松本偵治 大正11年(1922年)1月〜昭和6年(1931年)7月[8]
- 庄司貞市 昭和6年(1931年)7月〜昭和21年(1946年)11月[8]
- 松本優治 昭和22年(1947年)4月〜昭和29年(1954年)8月[8]
助役
編集- 松本節造 明治22年(1889年)12月〜明治25年(1892年)6月[8]
- 角治平 明治25年(1892年)9月〜明治27年(1894年)10月[8]
- 角惣平 明治27年(1894年)12月〜明治31年(1898年)11月[8]
- 庄司栄 明治31年(1898年)12月〜明治32年(1899年)5月[8]
- 門脇信造 明治32年(1899年)7月〜明治34年(1901年)9月[8]
- 角親三 明治34年(1901年)10月〜明治38年(1905年)10月[8]
- 門脇信造 明治38年(1905年)10月〜明治42年(1909年)10月[8]
- 松本偵治 明治43年(1910年)3月〜大正11年(1922年)1月[8]
- 庄司貞市 大正11年(1922年)2月〜昭和6年(1931年)7月[8]
- 渡辺忠造 昭和6年(1931年)7月〜昭和16年(1941年)3月[8]
- 渡辺恒造 昭和16年(1941年)4月〜昭和22年(1947年)4月[8]
- 松本光 昭和22年(1947年)4月〜昭和29年(1954年)8月[8]
収入役
編集村会議員
編集明治22年(1889年)町村制の定めるところによって村会議員の選挙が行われた[9]。議員の定数は人口1500人以上5000人未満は12人と定められていたので、渡村の定数は12人となった[9]。議員は名誉職で、任期は6年で3年ごとに半数を改選した[9]。大正2年(1913年)の選挙から定数が14人に改正し、任期も4年と改められた[9]。
村会議員は次の通り(補は補欠、死は在任中死去、辞は辞任・召集・取消・失格・隠居などを含む)[9]。
- 明治22年(1889年)
- 明治25年(1892年)
- 杉山永真、角惣平、角治平(死)、松本節造、渡部貫一、角本秀松、松本繁栄
- 明治28年(1895年)
- 都田曽平、松本喜八郎、庄司栄、門脇栄一郎、木下忠次郎(死)、松本敬孝、一澤九八郎、角惣平(補)
- 明治31年(1898年)
- 杉山永真、松本節造、角本秀松、築谷竹松、渡部貫一(死)、松本繁栄、渡辺市太郎、渡辺八三郎、門脇壮平(補)
- 明治34年(1901年)
- 都田曽平(辞)、庄司栄、門脇栄一郎(辞)、渡辺泰五郎(辞)、角惣平、一澤九八郎、築谷竹松、門脇信造、渡辺鼎、渡部秀雄(死)、渡辺萬吉(補)
- 明治37年(1904年)
- 杉山永真(死)、角本秀松、門脇顕次、渡辺市太郎、門脇壮平、松本覚太郎
- 明治40年(1907年)
- 築谷竹松、都田曽平、庄司栄、松本保衛、一澤九八郎、渡辺又衛、松本弥一郎、渡辺荒次郎
- 明治43年(1910年)
- 角本秀松、松本義治、角惣平、門脇壮平、松本壽一郎、渡辺貞雄
- 大正2年(1913年)
- 大正6年(1917年)
- 角本秀松、松本義治、角惣平、松澤竹太郎、築谷竹松、渡辺泰十、浜田勝次郎(死)、渡部弥寿雄、門脇俊太郎、植田浅太郎、渡辺助太郎(辞)、渡部栄太、松本芳造、門脇清太郎
- 大正10年(1921年)
- 渡部栄太、渡部泰十、、角本秀松(死)、築谷竹松、渡部弥寿雄、植田浅太郎、門脇俊太郎(死)、渡辺栄寿、渡部芳次郎、都田庄蔵、松本義治、松本良蔵(死)、渡辺恵智雄、小野雄三郎
- 昭和4年(1929年)
- 渡部弥寿雄、渡辺栄寿、渡辺恵智雄、松本虎造、門脇敬治、築谷誠、庄司繁二郎、松本佼、松本信一、木下乙二、松本通一、門脇亀栄、渡辺吉太郎、松本善造(死)
- 昭和8年(1933年)
- 渡部弥寿雄、渡辺栄寿、門脇敬治、築谷誠、庄司繁二郎、松本信一、木下乙二(辞)、門脇亀栄、松本岩松、松本傳太郎、築谷敏雄、渡辺博、松本恒夫、木下周治(辞)、松本通一(補)
- 昭和12年(1937年)
- 庄司繁二郎(死)、築谷誠(辞)、松本通一、門脇亀栄、松本岩松、築谷敏雄、渡辺博、松本恒夫、亀田憲太郎、角本昌、松本庫三、門脇芳雄、渡辺明治、渡部益栄
- 昭和17年(1942年)
- 松本通一、門脇亀栄、松本岩松、築谷敏雄、松本恒雄、木下周治(辞)、角本昌(辞)、松本庫三、築谷廣、渡辺一雄(死)、松本誠(死)、渡辺虎次郎、渡辺郡二、渡辺正雄、松本孝治(補)
- 昭和22年(1947年)
- 昭和26年(1951年)
- 門脇亀栄、築谷敏雄、松本恒夫、築谷廣、松本正巳、渡部隆二、松本成四郎、渡辺勇、松本廉市、山中品造、角信隆、角正夫、渡辺正義、大和昇、角本昌、松本節夫
苗字
編集古老によると松本・門脇・渡辺の三姓が最古姓と伝えられ、『渡村伝承記』によると尼子氏の居城戸田城落城後入植したのが渡辺・松本・門脇・のほか木下・庄司・角の計六家であるとしている。庄屋・年寄には寛政年間(1789年から1800年)以前に門脇・角・松本・渡部姓があり、寛政以後に渡辺・庄司姓が現れる。門脇・松本・渡部の三姓は明らかに対岸の八束町(江島、大根島)伝来のものと思われる。現代の上位五姓の内、松本姓が200戸を越えて群れを抜き、松本・渡部・門脇・渡辺の四姓で町内姓氏の約半数を占めている。築谷姓は旧支村大沢の住民で上道村から移住してきた月谷姓の変化したものと伝えられている[10]。
小・中学校の学区
編集市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[13]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 境港市立渡小学校 | 境港市立第三中学校 |
交通
編集鉄道
編集町内に鉄道駅はない。
バス
編集この節の加筆が望まれています。 |
道路
編集施設
編集- 境港市立渡小学校
- 境港警察署 渡駐在所
- 渡公民館
その他
編集江戸時代後期には諸職・諸商の発達が目覚しく、豪農・豪商の出現もみた。天保7年(1836年)の紺屋職人別申渡状(深田家文書)によると、紺屋職株をもつ者6人がおり、嘉永5年(1852年)、大坂木綿問屋が連名で因伯の木綿商人に宛てた書状の宛先に安来屋幸助(庄司氏)の名がみえる。鳥取藩は藩内六ヶ所に商人を登用して木綿方融通所を設置した際幸助もその一人として指定された。
出身人物
編集参考文献
編集- 『境港市史』
脚注
編集- ^ a b “令和4年度月別住民基本台帳登録数”. 境港市 (2021年7月31日). 2022年8月15日閲覧。
- ^ “郵便番号”. 日本郵便. 2022年8月15日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2022年8月15日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 『境港市三十五年史』平成3年、56頁
- ^ 「大字名改称」『官報』1914年11月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b c d e f 『境港市三十五年史』平成3年、48頁
- ^ 『境港市三十五年史』平成3年、38頁
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 『境港市三十五年史』平成3年、39頁
- ^ a b c d e 『境港市三十五年史』平成3年、45頁
- ^ 『境港市史 上巻』昭和61年、380頁
- ^ 『境港市史 上巻』昭和61年、371頁
- ^ 『境港市史 上巻』昭和61年、369頁
- ^ “境港市立小中学校児童、生徒の学校指定に関する規則”. 境港市. 2022年8月15日閲覧。