陳桃花

北宋の徽宗の妃嬪

陳 桃花(ちん とうか、1108年[1] - ?)は、北宋徽宗の妃嬪。

生涯 編集

北宋で夫人婕妤・美人・貴人・才人等より低い位)の位を授けられた。

靖康の変後、に連行され、金の天会5年(1127年)6月に完顔設野馬(完顔宗翰の長男)の婢(側女)となった。同年7月、徽宗の子の趙梴の妻とされた。その後、燕山(北京)に定住した。

子女 編集

  • 趙成功
  • 趙成式

いずれも趙梴との子。

伝記資料 編集

  • 『靖康稗史箋證』
  • 『三朝北盟会編』
  • 『宋会要輯稿』

脚注 編集

  1. ^ 『開封府状』によれば「陳夫人十九歳。名桃花。」