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陸軍機密費横領問題(りくぐんきみつひおうりょうもんだい)は、田中義一立憲政友会入りする際の「持参金」300万円の出所に関わる疑惑である。

陸軍機密費横領問題
担当検事怪死事件
場所 日本の旗 日本東京都大田区 東海道線大森ー蒲田間の鉄橋下
日付 1926年10月30日
午後5時40分過ぎごろ
概要 同日、田中義一立憲政友会入りの際の持参金に関する陸軍機密費横領問題を担当し問題の追求を行なっていた石田基次席検事が東海道線大森ー蒲田間の鉄橋下の小川のような所で変死体となっているのを保線工夫の男が発見。
死亡者 石田基(東京地裁検事局次席検事)
犯人 不明
動機 不明
対処 同日午後1時、吉松検事正は記者会見し検視の結果「断じて他殺ではなく過失であった」として処理し遺族からの司法解剖の要請を拒否、その日の内に遺体を火葬場へと送り処理した。
影響 担当検事の死亡により『陸軍機密費横領問題』の問題追求は終了された。
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陸軍大将であった田中が1925年に政界に転身し、立憲政友会入りをした際に、300万円の持参金を用意していた。出所について尋ねられた田中は、神戸の実業家・乾新兵衛から借りたと言っていたが、シベリア出兵の際の陸軍機密費を横領して乾に渡し、それを乾が公債に替えて田中に渡したものではないか、という疑惑が持上った。

1926年(大正15年)3月4日衆議院憲政会中野正剛代議士がこの問題を取り上げ、帝国議会でも審議されたが、10月30日、この問題を追及していた石田基次席検事が大森-蒲田間の鉄橋下で変死体となって発見され、疑惑はうやむやのうちに終わった。

他にも田中には同じ長州藩にルーツを持つ藤田組との関係が強く、その一族の久原房之助の政界入り及び初当選直後の閣僚抜擢についても何らかの金が動いたのではと言われた。

石田検事の変死は、松本清張の『昭和史発掘』にも取り上げられている。松本は、鉄道をめぐる怪事件として、戦後に起きた「下山事件」との共通点を論じている。

参考文献編集