雨富 須賀一(あめとみ すがいち、- 天明4年(1784年)) は、江戸時代後期の検校国学者塙保己一の最初の師にあたる。

生涯 編集

茨城県笠間市(中市原山下三十三番三百三十四)出身。四谷西念寺横丁で按摩音曲を教えていた。

弟子に塙保己一がいたが、その才能に気づくと保己一を支援し様々な学問を学ばせた。また、明和3年(1766年)には病弱な保己一を心配し、父の宇兵衛と共に伊勢神宮に詣でることを勧め、旅費を出した。自分の遺産を『群書類従』の作成のために保己一に譲ろうと申し出たが、保己一が辞退したため、生活に困っている雨富の弟子に相続されたという。

天明4年(1784年)、死去。

参考文献 編集

脚注 編集


外部リンク 編集