青木放屁
日本の元子役
青木 放屁(あおき ほうひ、生没年不詳)は、日本の元子役である[1][2]。本名は青木 富宏(あおき とみひろ)。旧芸名は青木 富廣。
あおき ほうひ 青木 放屁 | |
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![]() 『長屋紳士録』(1947年)。右は飯田蝶子。 | |
本名 | 青木 富宏(あおき とみひろ) |
別名義 | 青木 富廣 |
生年月日 | 不詳年 |
没年月日 | 不詳年 |
出生地 |
![]() |
職業 | 元子役 |
ジャンル | 劇映画(現代劇、トーキー) |
活動期間 | 1947年 - 1953年 |
著名な家族 |
小倉繁(実父) 青木富夫(異父兄) |
事務所 | 松竹大船撮影所 |
主な作品 | |
『長屋紳士録』 『風の中の牝鶏』 『晩春』 |
来歴・人物編集
生年生地不明[1](少なくとも1924年以降の出生)。
松竹蒲田撮影所の喜劇俳優である小倉繁と母・スエの間に生まれる。蒲田の名子役・青木富夫(突貫小僧)は異父兄にあたる。鎌倉市立大船中学校を卒業[1]。
実家が蒲田にあったため、幼児の頃から富夫について松竹蒲田撮影所に遊びに行くうちにスタッフの目にとまり、1947年に小津安二郎監督の戦後復帰第一作目『長屋紳士録』に青木 富廣(あおき とみひろ)名義で、飯田蝶子に引き取られる戦災孤児ふうの少年役で初出演する[1]。
太っていたので撮影所の皆から「ブーちゃん」の愛称で親しまれ、芸名も青木 放屁と改名する。以後、小津作品を中心に活躍するが1953年に公開された池田忠雄監督映画『関白マダム』の松本太郎役で出演した後、芸能界を引退した[1]。