響矢 由太郎(ひびきや よしたろう、1872年5月22日明治5年4月16日) - 1930年昭和5年)9月3日[1])は、現在の大阪府大阪市平野区瓜破東出身で大坂相撲岩友部屋友綱部屋に所属した元力士。本名は山野 由太郎。11代岩友。170cm、113kg。最高位は大阪では大関、東京では東前頭4枚目。

人物

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大阪相撲の岩友に入門、力石の名で1892年10月見習となる。1895年10月二段目に上り響矢と改名、1897年9月入幕した。1900年上京し友綱部屋に属した。1900年1月幕尻格に付け出される。この場所上京にあたり四股名を2日目から花頂山に改めたが[2]、6日目から響矢に再改名した[3]。この場所より連続6場所平幕に在位したが、東京相撲ではなかなか通じず三役には届かなかった。1902年5月限りに脱走、大坂相撲に帰参した。

1903年1月海ヶ嶽の名で幕内格で復帰、1904年1月みたび響矢に戻り1905年1月関脇に昇進し5場所務めた。1907年6月小結に下がったこの場所、亡師の名跡を継ぎ岩友 大太郎を襲名。8勝1預の最優秀成績を残し翌1908年1月大関に昇進した。大関を11場所務め、1913年5月番付外大関格での出場を最後に引退、頭取専務となった。

以後は大坂相撲の頭取、のちに取締を務め1923年の竜神事件の際には土俵上で謝罪をした。

1927年の東西合併でも大阪方の代表として貢献。1930年、58歳で死去。

成績

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  • 幕内6場所17勝17敗20休(東京)
  • 幕内25場所103勝41敗10分6預(大阪)
  • 改名:力石→響矢→花頂山→響矢→海ヶ嶽→響矢→岩友

[4]

出典

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参考文献

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関連項目

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