飛騨 祖門(ひだ の おやかど、生没年不詳)は奈良時代末期から平安時代初期の官人。飛騨国(岐阜県北部)の人。姓は国造。官位は外従五位下、主税助。
桓武朝の延暦2年(783年)12月、従七位上の時に飛騨国造となる[1]。それからしばらく記録が途絶えるが、外従五位下にのぼっている。平城朝の大同3年(808年)には主計助になり[2]、ほどなくして主税助へと転任している。なお、もう一人の主税助は犬上望成で、主税頭は中科雄庭である[3]。