飯沼天神塚古墳(いいぬまてんじんづかこふん)または飯沼雲彩寺古墳(いいぬまうんさいじこふん)は、長野県飯田市上郷飯沼にある古墳。形状は前方後円墳飯田古墳群(うち上郷単位群)を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている(史跡「飯田古墳群」のうち)。

飯沼天神塚古墳 / 飯沼雲彩寺古墳

墳丘(左に後円部、右に前方部)
所属 飯田古墳群(上郷単位群)
所在地 長野県飯田市上郷飯沼3334-1ほか(雲彩寺境内)
位置 北緯35度27分48.65秒 東経137度48分51.63秒 / 北緯35.4635139度 東経137.8143417度 / 35.4635139; 137.8143417座標: 北緯35度27分48.65秒 東経137度48分51.63秒 / 北緯35.4635139度 東経137.8143417度 / 35.4635139; 137.8143417
形状 前方後円墳
規模 墳丘長74.5m
高さ8.5m(後円部)
埋葬施設 両袖式横穴式石室
出土品 銅鏡・装身具・武器・馬具・須恵器
築造時期 6世紀前半
史跡 国の史跡「飯田古墳群」に包含
地図
飯沼 天神塚古墳の位置(長野県内)
飯沼 天神塚古墳
飯沼
天神塚古墳
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概要 編集

 
雲彩寺本堂

長野県南部、天竜川西岸の低位段丘上(標高430メートル)に築造された古墳である。かつては前方部上に天神社が祀られた。現在は雲彩寺境内の本堂背後に所在し、雲彩寺本堂・墓地の造営などで墳丘の一部は削平されている。江戸時代に石室が開口し、多数の副葬品が出土している。

墳形は前方後円形で、前方部を南南東方向に向ける。墳丘長は74.5メートルを測り、飯田古墳群では最大規模になる。埋葬施設は後円部における両袖式の横穴式石室である。本来は西方向に開口した石室であるが、江戸時代に石室奥側(東側)が破壊・開口しており、本来の西側開口部は閉塞されている。石室全長12.6メートル以上を測る大型石室で、羨道が狭く長いという特徴を有し、群馬県の石室との関連性が指摘される。石室内からは、副葬品として銅鏡・装身具・武器・馬具・須恵器など多数が出土したが、そのほとんどは失われており、現在は馬鈴・金環のみが遺存する。築造時期は古墳時代後期の6世紀前半頃と推定される[1]

古墳域は2016年平成28年)に国の史跡に指定されている(史跡「飯田古墳群」のうち)。

遺跡歴 編集

  • 寛政5年(1793年)、雲彩寺の寺域拡張の際に石室開口、副葬品多数出土(『雲彩寺略記』・『雲彩寺所蔵古物之図』に記録)。
  • 1965年昭和40年)4月1日、長野県指定史跡に指定。
  • 19831984年(昭和58・59年)、石室実測調査(白石太一郎ら、1988年に報告)。
  • 2016年平成28年)10月3日、国の史跡に指定(史跡「飯田古墳群」のうち)。

墳丘 編集

墳丘の規模は次の通り[2]

  • 墳丘長:74.5メートル
  • 後円部
    • 直径:31メートル
    • 高さ:8.5メートル
  • 前方部
    • 幅:推定39.4メートル
    • 高さ:7.5メートル

埋葬施設 編集

 
石室パース図
 
石室展開図

埋葬施設としては後円部において両袖式横穴式石室が構築されており、西方向に開口した(現在は東方向に開口)。石室の規模は次の通り[2]

  • 石室全長:12.6メートル以上
  • 玄室:長さ4.6メートル以上、幅約2.3メートル、高さ約1.6メートル
  • 羨道:長さ8メートル以上、幅0.6-0.8メートル、高さ0.8メートル

石室は、江戸時代の雲彩寺の寺域拡張で後円部東側の墳丘が削平された際に、玄室奥壁(東側)が破壊されたことで開口しており、本来の羨道開口部(西側)は閉塞されたままで完存する。石室の石材は小型の川原石であり、羨道が狭く長いという特徴を有する。狭長の羨道は下伊那地方では類例がなく、群馬県の簗瀬二子塚古墳安中市)との類似が指摘される。

出土品 編集

江戸時代の石室開口時に出土した副葬品は次の通り[2]

  • 四鈴鏡 1
  • 神獣鏡?片 1
  • 単鳳環頭柄頭 1
  • 鉄鏃 1
  • 馬鈴 2
  • 鈴 2
  • 杏葉 4
  • 雲珠 2
  • 金環 1
  • 金銅製空玉 3
  • 金銅製蜜柑玉 1
  • 切子玉 1
  • 臼玉 2
  • 棗玉 3
  • 小玉 1
  • 須恵器 - 坏2、平瓶1。

現在では副葬品のほとんどは失われ、馬鈴2・金環1のみが遺存する[2]

関連施設 編集

  • 飯田市考古博物館(飯田市上郷別府) - 飯沼天神塚古墳の出土品を保管・展示。

脚注 編集

参考文献 編集

(記事執筆に使用した文献)

  • 史跡説明板(飯田市教育委員会、2017年設置)
  • 「天神塚古墳」『日本歴史地名大系 20 長野県の地名』平凡社、1979年。ISBN 4582490204 
  • 「飯沼雲彩寺古墳」『長野県史 考古資料編 全1巻(3) 主要遺跡(中・南信)』長野県、1983年。 
  • 小林秀夫「飯沼雲彩寺古墳」『日本古墳大辞典東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607 
  • 飯沼天神塚(雲彩寺)古墳」『飯田における古墳の出現と展開 -資料編-』飯田市教育委員会、2007年http://sitereports.nabunken.go.jp/9271  - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。

関連文献 編集

(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 白石太一郎「伊那谷の横穴式石室(一)」『信濃』第40巻第7号、信濃史学会、1988年7月、669-687頁。 

関連項目 編集

外部リンク 編集