養林寺(ようりんじ)は、群馬県前橋市堀越町浄土宗鎮西派の寺院。山号は無量山、院号は月照院、本尊は阿弥陀如来[1]

養林寺
所在地 群馬県前橋市堀越町1259
位置 北緯36度25分13秒 東経139度9分22秒 / 北緯36.42028度 東経139.15611度 / 36.42028; 139.15611座標: 北緯36度25分13秒 東経139度9分22秒 / 北緯36.42028度 東経139.15611度 / 36.42028; 139.15611
山号 無量山
院号 月照院
宗旨 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
創建年 天正18年(1590年)?
文禄3年(1594年)?
開山 明誉唱空?
玄蓮社昌公?
開基 牧野康成
正式名 無量山 月照院 養林寺
文化財 牧野家墓地(前橋市指定重要文化財)
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歴史

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鎌倉時代法然に帰依した大胡太郎実秀がこの地に草庵を営んだのに始まるとされる[1][2]

天正18年(1590年大胡城主となった牧野康成牧野氏菩提寺として明誉唱空を開山として近戸山養修寺と号したという[1][2]。他方『前橋風土記[3]』『上野国志[4]』では文禄3年(1594年)に牧野康成が玄(其)蓮社昌公を開基としたとされている。

慶長9年(1604年)、牧野康成は所領のうち100石を寄進し、幕府の許可を得て徳川家康朱印状を与えられた(『大日本史料[5])。この時仏具什器に葵の紋を用いることを許されたという[1][2]

元和2年(1616年)に牧野氏は長岡へ転封となり、大胡城は廃城となった。

牧野氏時代の建築物としては山門が唯一残り、形式から江戸時代前期のものと推定される[6][7]

高土居の痕跡が残ることから、中世の大胡氏の館跡と推定されている[8]

文化財

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周辺

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脚注

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参考文献

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  • 大胡町誌編纂委員会 委員長 須永 善四郎『大胡町誌』1976年6月15日(原著1976年6月15日)。doi:10.24484/sitereports.99955NCID BN03614004https://sitereports.nabunken.go.jp/99955 
  • 群馬県地域創生部文化財保護課『群馬県近世寺社総合調査報告書-歴史的建造物を中心に-寺院編』群馬県前橋市大手町一丁目1番1号、2022年3月18日(原著2022年3月18日)。doi:10.24484/sitereports.121894NCID BC14398038https://sitereports.nabunken.go.jp/121894