養観院(ようかんいん、生没年不詳)は、安土桃山時代の女性。織田信長側室羽柴秀勝の生母。養勝院(ようしょういん)と同一人物ともいう[1]

生涯編集

出自や生没年は不明[1]永禄12年(1569年)に信長の四男於次(秀勝)を生んだ。なお、永禄4年(1561年)に生まれた信長の次女で蒲生氏郷正室となった相応院は、知恩院塔頭瑞林院に秀勝と同じく墓があることから同腹とみられる[1]

相応院の年齢から考えて、養観院が信長の側室だった時期は吉乃よりも前かほぼ同時期と推定されている[1]

於次秀勝は、天正4年(1576年)に信長の重臣であった羽柴秀吉の養子となった。秀勝は病弱で、『兼見卿記』には養観院が吉田兼見に秀勝の病状回復の祈祷を願い出したという記述がある。秀勝は天正13年(1585年)12月に死去したため、養観院は丹波から京都へ移り、出家して信長・秀勝らの菩提を弔った。高野山の信長・秀勝の供養塔は養観院(養勝院)が建立したものとされている[1]

脚注編集

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  1. ^ a b c d e 西ヶ谷恭弘 『考証 織田信長事典』 東京堂出版、2000年、244-245頁。ISBN 4490105509