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館山
艦歴
建造所 東京川崎造船所
起工 1879年6月9日
進水 1880年2月10日
竣工 1880年3月17日[1]
除籍 1896年9月26日
その後 1906年4月19日廃船
1907年4月9日売却
要目
排水量 543トン
全長 長さ:34.75m
全幅 幅:8.2m
吃水 2.97m
機関 なし。帆走のみ
速力
航続距離
燃料
乗員
兵装 20ポンド砲2門
その他 信号符字:GQDL[2]

館山(たてやま)は日本海軍の帆走練習艦。艦名は千葉県館山市および館山湾にちなむ。木造の二檣ブリッグで、当時東京にあった川崎造船所で初めて建造された軍艦。

艦歴編集

1879年(明治12年)度に横須賀造船所が建造を計画、東京川崎造船所で1880年(明治13年)3月17日[1]に竣工した。竣工時の艦名は「第一回漕丸(だいいちかいそうまる)」。1883年(明治16年)6月に練習艦として使用するために横須賀造船所から海軍が借り入れ、1886年(明治19年)には七等艦に定め、航海練習艦とされた。1888年(明治21年)9月27日に「館山」と改名、1890年(明治23年)8月23日に第三種に定められた。

1894年(明治27年)に始まる日清戦争には第一線での活動はなかった。

1896年(明治29年)9月26日除籍、雑役船に編入され、呉海兵団で使用される。1906年(明治39年)に廃船となり翌年売却された。

艦長編集

※『官報』に基づく。

船長
  • 乃木高行 大尉:1885年12月25日 -
艦長
  • 永峰光孚 大尉:1889年5月15日 - 1890年9月17日
  • 福間隆家 大尉:1890年9月17日 - 1892年5月23日
  • 石田五六郎 大尉:1892年5月23日 - 1893年12月2日
  • 酒井正房 大尉:1893年12月2日 -

脚注編集

  1. ^ a b 『日本海軍史 第7巻』p225による。『聯合艦隊軍艦銘銘伝』では6月9日竣工。
  2. ^ #達明治21年 画像1『達第百二十八號 各艦船ニ萬國信號符字ヲ左ノ如ク點付シ明治十九年一月丙第三號達符字表中東、雷電、孟春、千代田形、肇敏、蒼龍、攝津、畝傍ノ八艦名及其砲數ヲ示ス數字ヲ刪除ス 明治二十一年十一月五日 海軍大臣伯爵西郷從道 信號符字 艦名 砲數 GQDL 館山 Tate-yama 〇 GQDM 滿珠 Man-ju 四 GQDN 干珠 Kan-ju 四 GQDP 小鷹 Ko-taka 〇 GQDR 第一震天 Dai-ichi-shin-ten 〇 GQDS 第二震天 Dai-ni-shin-ten 〇 GQDT 第三震天 Dai-san-shin-ten 〇 GQDV 第四震天 Dai-shi-shin-ten 〇』

参考文献編集

関連項目編集