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香久丸 (特設水上機母艦)

香久丸(かぐまる)は、国際汽船の衣笠丸型貨物船の三番船[2]日中戦争から太平洋戦争にかけて、特設水上機母艦特設工作艦、特設運送船として運用された。

香久丸
Kagu-maru in 1938.jpg
香久丸。1938年撮影。
基本情報
船種 貨物船
クラス 衣笠丸級貨物船
船籍 大日本帝国の旗 大日本帝国
所有者 国際汽船
大阪商船
運用者 Flag of Japan.svg 国際汽船
大阪商船
 大日本帝国海軍
建造所 播磨造船所
母港 東京港/東京都
大阪港/大阪府
姉妹船 衣笠丸
香椎丸[1]
航行区域 遠洋
信号符字 JHAL
IMO番号 41958(※船舶番号)
建造期間 223日
就航期間 3050日
経歴
起工 1935年11月21日[2]
進水 1936年4月18日[3]
竣工 1936年6月30日[3]
除籍 1945年1月10日
最後 1944年11月4日被雷沈没
要目
総トン数 6,806トン(1936年)[4]
8,417トン(1941年)[5]
純トン数 3,688トン(1936年)
5,021トン(1940年)
載貨重量 9,353トン(1936年)[4]
10,171トン(1941年)[5]
排水量 不明
登録長 138.19m(1936年)[4]
138.92m(1941年)[5]
垂線間長 137.16m
型幅 18.59 m[2]
型深さ 9.47m(1936年)[4]
12.21m(1941年)[5]
高さ 25.90m(水面から1番・4番マスト最上端まで)
14.02m(水面から2番・3番マスト最上端まで)
13.71m(水面から煙突最上端まで)
喫水 4.72m(1936年)[4]
3.58m(1941年)[5]
満載喫水 8.39m(1936年)[4]
8.77m(1941年)[5]
機関方式 川崎MANディーゼル機関 1基[4]
推進器 1軸[4]
最大出力 8,353BHP[2]
定格出力 7,000BHP[2]
最大速力 19.7ノット[4]
航海速力 17.0ノット[4]
航続距離 16.5ノットで34,000海里
乗組員 49名(1936年)[4]
51名(1941年)[5]
積載能力 2,850トン
清澄丸級貨物船は準姉妹船
1938年8月25日徴用。
高さは米海軍識別表[6]より(フィート表記)。
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香久丸
基本情報
艦種 特設水上機母艦
特設工作艦
特設運送船
艦歴
就役 1938年8月25日(海軍籍に編入時)
横須賀鎮守府部隊/横須賀鎮守府所管
要目
兵装 特設水上機母艦時
十年式12cm高角砲[7]
特設工作艦時
三年式8cm高角砲
機銃
特設運送船時(1943年12月)
三年式8cm高角砲1門
九三式13mm機銃単装4基4門
九二式7.7mm機銃1門
三八式歩兵銃5挺
爆雷投下台2基
装甲 なし
搭載機 九四式水上偵察機4機、九五式水上偵察機6機[8][7]
徴用に際し変更された要目のみ表記。
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概要編集

高速優秀船主義を採用し、船舶改善助成施設などを活用した大幅な船質改善の一環で[9]国際汽船が建造した衣笠丸型貨物船の一隻であるが、ネームシップの衣笠丸川崎造船所で建造されたのに対し、続く香椎丸と香久丸は播磨造船所で建造された[2]。香久丸は1936年(昭和11年)6月30日に播磨造船所で竣工し、竣工後は日本郵船の委託船となってニューヨーク航路、ヨーロッパ航路に就航する[10]。しかし1937年(昭和12年)7月に勃発した日中戦争により、商業航海から一時離れることとなる。8月25日付で日本海軍に徴傭され、同時に特設水上機母艦として入籍する[3]。この時点では千歳型水上機母艦は竣工しておらず、かくて香久丸は特設艦船ながら若宮能登呂神威に続く日本海軍四番目の水上機母艦となったのであり、航空関係で動員された初めての特設艦船でもあった[8]横須賀海軍工廠での艤装工事が行われた。工事終了後、第三航空戦隊(寺田幸吉少将)に属して中国中部および南部方面に進出[7]九江攻略戦および漢口攻略戦を航空機隊をもって支援し、航空機隊は南寧攻撃では陸上戦闘機隊と互角に対戦した[7]。やがて戦線が奥地へ移動したため水上機隊の作戦もとりあえず終了し、1938年(昭和13年)12月15日付で一般徴傭船に類別変更の後[3]1939年(昭和14年)1月15日付で特設工作艦となる[3]。しかし、その期間は短く、4月20日付で解傭されて商業航海に復帰した[3]

商業航海に復帰後の9月4日早朝、ロサンゼルスから横浜に向けて航行中に北緯46度16分 東経177度10分 / 北緯46.267度 東経177.167度 / 46.267; 177.167[11]北太平洋上において濃霧に襲われ視界が利かなくなり[12]、ロサンゼルスに向けて航行中の貨客船りおでじゃねろ丸大阪商船、9,627トン)が突然目の前に現れ、香久丸の船首はりおでじゃねろ丸の左舷部に衝突する[11]。香久丸はるおでじゃねろ丸の乗客51名を収容の後[13]、曳航作業に取り掛かる。うねりのある洋上でロープを渡した後、18日間かけて紀淡海峡入り口まで曳航の後タグボートにりおでじゃねろ丸曳航の任を譲って、9月22日に神戸港に入港した[13]

1941年(昭和16年)10月31日、香久丸は日本海軍に再度徴傭され11月10日付で特設運送船として入籍した[3]。11月11日から11月24日まで、三菱長崎造船所で艤装工事が行われた[3][14]。開戦後はタラカン島攻略戦に特設運送船國川丸川崎汽船、6,863トン)などとともに参加[15]。その後はラバウル[16]サイゴン[17]など南方各地と日本本土との輸送に任じる。ヒ船団にもしばしば加入[18]1943年(昭和18年)11月16日、国際汽船が戦時統合により大阪商船に吸収合併されたことにより、香久丸も大阪商船に移籍する[19]1944年(昭和19年)9月10日、香久丸は陸軍特殊船吉備津丸(日本郵船、9,575トン)、特設運送船護国丸(大阪商船、10,438トン)とともにマモ03船団を編成してマニラを出港したが[20]、途中、ヒ72船団と合流して門司に向かうもヒ72船団は9月12日にアメリカのグロウラー (USS Growler, SS-215) 、パンパニト (USS Pampanito, SS-383) 、シーライオン (USS Sealion, SS-315) の3潜水艦のウルフパックにつかまり、 多大な被害を出した。船団は三亜に回航の上顔ぶれを改めて9月16日に出港するが、9月20日にB-24の攻撃を受けて特設運送船浅香丸(日本郵船、7,398トン)、海防艦御蔵とともに被弾損傷し、高雄に回航の上修理が行われる[21]。修理後は基隆に回航の上で船団の航行を再開し、門司に到着した[21]

10月26日、香久丸はヒ79船団に加入して門司を出港した[22]。10月30日に高雄に寄港の後、特務艦間宮とともに船団から外れ[22]、新たに二等輸送艦4隻とともにタマ31A船団を編成して11月2日に高雄を出港する[23]。ところが翌11月3日明け方、北緯19度57分 東経121度50分 / 北緯19.950度 東経121.833度 / 19.950; 121.833[24]サブタン島近海にさしかかった所でアメリカの潜水艦セイルフィッシュ (USS Sailfish, SS-192) の雷撃に遭うもこれを回避した[23][25][26]ラポック湾で仮泊ののち、11月4日朝に航行を再開したが[23]リンガエン湾口を横切って南下していた17時48分頃、北緯16度30分 東経119度46分 / 北緯16.500度 東経119.767度 / 16.500; 119.767のサンチャゴ島沖[27]を航行中にアメリカのレイ (USS Ray, SS-271) 、ブリーム (USS Bream, SS-243) およびギターロ (USS Guitarro, SS-363) の3潜水艦からなるウルフパックの攻撃を受けた。最初に攻撃したのはギターロで、16時5分[注釈 1]に「10,000トン級大型輸送船」、すなわち香久丸に対して魚雷を4本発射し、うち1本が命中した[28]。続いて攻撃したのはブリームで、16時30分[注釈 2]に香久丸に対して魚雷を4本発射し、うち1本が命中[29]。香久丸は魚雷の命中により大火災が発生して航行不能となった[27]。約2時間のちの19時2分[注釈 3]、レイが停止している香久丸に対して魚雷を2本発射し、2本とも命中し[30]香久丸は間もなく沈没した。残った二等輸送艦はサンタクルーズ英語版に逃げ込んだ[27]1945年(昭和20年)1月10日付で除籍および解傭[3]。香久丸の撃沈はレイ、ブリーム、ギターロの共同戦果として扱われた[31]

なお主要目の一部数値が上方修正されているが[4][5]、その理由は定かではない。

特務艦長編集

※『日本海軍史』第9巻の「将官履歴」に基づく。

脚注編集

参考文献編集

  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.C08050073300『昭和十四年版 日本汽船名簿 内地 朝鮮 台湾 関東州 其一』、42頁。
    • Ref.C08050083100『昭和十八年版 日本汽船名簿 内地 朝鮮 台湾 関東州 其一』、48頁。
    • Ref.C08030687900『香久丸戦時日誌 昭和十六年十一月分』、2-14頁。
    • Ref.C08030670500『自昭和十七年十二月一日至昭和十七年十二月三十一日 南海丸戦時日誌』。
    • Ref.C08030688100『香久丸戦時日誌 昭和十七年九月分』、20-38頁。
    • Ref.C08030141700『自昭和十九年十一月一日至昭和十九年十一月三十日 第一海上護衛隊戦時日誌』。
  • 新聞記事文庫(神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ)
  • (Issuu) SS-192, USS SAILFISH. Historic Naval Ships Association. http://issuu.com/hnsa/docs/ss-192_sailfish?mode=a_p. 
  • (Issuu) SS-243, USS BREAM. Historic Naval Ships Association. http://issuu.com/hnsa/docs/ss-243_bream?mode=a_p. 
  • (Issuu) SS-271, USS RAY, Part 1. Historic Naval Ships Association. http://issuu.com/hnsa/docs/ss-271_ray_part1?mode=a_p. 
  • (Issuu) SS-271, USS RAY, Part 2. Historic Naval Ships Association. http://issuu.com/hnsa/docs/ss-271_ray_part2?mode=a_p. 
  • (Issuu) SS-363, USS GUITARRO. Historic Naval Ships Association. http://issuu.com/hnsa/docs/ss-363_guitarro?mode=a_p. 
  • Roscoe, Theodore. United States Submarine Operetions in World War II. Annapolis, Maryland: Naval Institute press. ISBN 0-87021-731-3. 
  • 財団法人海上労働協会(編)『復刻版 日本商船隊戦時遭難史』財団法人海上労働協会/成山堂書店、2007年(原著1962年)。ISBN 978-4-425-30336-6
  • 駒宮真七郎『戦時輸送船団史』出版協同社、1987年。ISBN 4-87970-047-9
  • 『写真 日本の軍艦4 空母II』雑誌「」編集部(編)、光人社、1989年、214-217頁。ISBN 4-7698-0454-7
  • 野間恒『商船が語る太平洋戦争 商船三井戦時船史』野間恒(私家版)、2004年。
  • 林寛司(作表)、戦前船舶研究会(資料提供)『戦前船舶 第104号・特設艦船原簿/日本海軍徴用船舶原簿』戦前船舶研究会、2004年。
  • 松井邦夫『日本商船・船名考』海文堂出版、2006年。ISBN 4-303-12330-7
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第一法規出版、1995年。

関連項目編集