高井武子

田安徳川家当主・徳川慶頼の側室

高井 武子(たかい たけこ、1838年天保9年) - 1902年明治35年))は、田安徳川家当主・徳川慶頼側室徳川家達徳川達孝徳川寿千代の生母。津田梅子の叔母[1]。竹子とも表記される。

生涯 編集

1838年天保9年)、津田栄七の長女として生まれる。後に高井主水の養女となる。田安徳川家の5第当主である徳川慶頼側室となり、4男3女を儲ける。三男の徳川家達徳川宗家の16代当主となった[2]

1902年明治35年)、死去[3]。墓所は東京都台東区上野桜木寛永寺。戒名は観客院翠竹清貞大姉。

脚注 編集

  1. ^ 『徳川将軍家墓碑総覧』(2008年、パレード)
  2. ^ 田安徳川家”. 花筐館. 2023年10月18日閲覧。
  3. ^ 『同方會誌』(2008年、立体社)