高島小金治

明治期の実業家

高島 小金治(たかしま こきんじ、1861年5月17日文久元年4月8日) - 1922年大正11年)3月28日)は、明治期の実業家。日清豆粕製造(現・日清オイリオグループ)初代社長。大倉喜八郎の女婿で、終始その片腕となり、大倉組副頭取を務めた。

高島小金治

経歴 編集

上野国(現・群馬県前橋市に士族高島有八の長男として生まれる[1]。19歳の明治2年(1869年)に慶應義塾卒業後同塾の講師を3年務めたあと、政治活動に転じる[1]1886年(明治19年)渡米し,3年後に帰国して大倉喜八郎の軍需品輸入会社「内外用達会社」に入り取締役となる。

内外用達会社を解散し、合名会社大倉組の創立に参加し、副頭取に就任。大倉組では海外貿易を担当し、支那方面への兵器弾薬の輸出、インドの茶畑、南アメリカに向かって木材輸出を担当。満州にて日清豆粕製造社長となり、1887年(明治20年)に日本製靴日本皮革を設立し、大倉商業学校理事となる。その後、韓国善隣商業学校評議員(韓国・現善隣インターネット高等学校)などを歴任。

永田町の自邸で亡くなる[1]。享年62。没年、従六位に叙された。

親族 編集

脚注 編集

  1. ^ a b c 『会員追悼録』p45日本工業倶楽部, 1925
  2. ^ a b c 高島小金治『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
  3. ^ 高島直一郎『人事興信録』第8版
  4. ^ 『ラ・ジャポネーズ』矢島翠、筑摩書房、1990年、p263
  5. ^ 又木周夫『人事興信録』第8版

参考文献 編集